2015.4.3 |
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周りの人みんなが笑顔になる |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
あるところで、一泊二日の泊まり込みの旅行がありました。
数十人の人が泊まり込み、夜を徹してしゃべり、翌朝も一緒に朝食を食べました。
朝食の時、隣にご夫婦が座っていました。
私の顔を見るなり、その奥さんが話しかけてきました。
「質問してよろしいですか」「どうぞ」
「実は私の子供なんですが…」というふうに話をし始めました。
私は、そこで両手でバツを作りながら、にっと笑って「ブー」と言いました。
実は、その前夜に数十人でお茶会をやったときに、何十人もの人から同じような質問を受けていたのです。
その質問とは「自分以外の人間を自分の思いどおりにするにはどうすればよいか」というものでした。
質問している人は、それぞれ全部、状況が違います。
自分の思いどおりにしたいその対象は、子供であったり、親であったり、夫であったり、妻であったり、職場の同僚であったりはするのですが、結局は、自分を取り巻いている人間関係のなかで、気に入らない人を「自分の思いどおりにしたい」というのが悩み相談のほとんどでした。
それを昨夜のうちに何回も何回もくり返し言っていたのです。
「また、自分以外のことの質問なんですね、実は…自分の質問のようにご本人は思っているでしょうけど、結局は自分の思いどおりにしたいということですよね」
と言いました。
一分ほどこの方が黙っていました。
また口を開きました。
「職場にですねえ…私にすごくつらく当たる上司がいるんです」。
私はまた笑ってしまって、手でバツを作って「ブー」と言いました。
私は、次のような話を続けたのです。
「もしかすると、日常生活ではほとんど笑顔がない状態で、そのように行く先々で、家庭の中で、職場で、あるいは友人の中で、いつもいつも『これが問題だ、問題だ』と言い続けてきたのではありませんか。
もし、私があなたの上司であったならば、あなたの顔を見たら、『これが問題だ、これが問題だ』と言っているあなたに対して、自分に近づいてこないように、より厳しく、より冷たい言葉を投げかけるのではないでしょうか。
『私のそばに寄ってくるな』という意志や作用が明らかに働くと思います。
『問題だ、問題だ』というふうに問題を熊手で集めてくるのをやめにしませんか」
と言いました。
「こんな楽しいことがあってね、こんな嬉しいことがあってね、こんな幸せなことが実はあったのよね、こんなおもしろい話に出会ったのよね、つい最近読んだ本がものすごくおもしろい本だった」
そういうように笑顔で話す人がいたら、その人の周りには人が集まると思います。
その人の口から出てくる言葉が「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる」(この七つを、「七福神」ならぬ「祝福神」と名づけました)。
そういう喜びの言葉、幸せな言葉というものが外に出てきたら、それを喜ぶ人たちがたくさんいます。
「問題だ、問題だ」と問題点を探し出すよりも、受け容れることで自分が楽になるのです。
そして、受け容れることでさらにそこに喜びを感じ、幸せを感じ、さらに感謝を感じることができたならば、その一つひとつの言葉に人々は癒されて、明るい気持ちになり、その人の周りに皆さんが寄ってきます。
そして、周りの人みんなが笑顔になり、笑顔の集団が出き上がります。
『釈迦の教えは「感謝」だった』風雲舎
心理学の基本に「他人は変えることはできない。変えることができるのは自分だけ」というものがある。
同様に、過去も変えられない。
しかし、その過去も、他人も、考え方一つ、見方一つで、事実は変わらないとしても、自分の思いは変えることができる。
「ああ、あの大きな病気があったから、今の自分があるんだ」と思うようなことだ。
人を変えようとすればするほど、自分が苦しくなる。
思うようにならないからだ。
たとえ、仮に、身体のどこか一個所が痛かったとしても、それ以外のすべての箇所が無事で痛くないのなら、そのことを喜び、感謝する。
問題点だけを見ずに、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる」という言葉を使い、明るく楽しい面を見るなら、人は幸せに生きられる。
周りの人みんなが笑顔になれる言葉を使い続けたい。 |
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