2015.3.29 |
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自分の人生をダメにしてしまう方法 |
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白取晴彦氏の心に響く言葉より…
犯罪者になることなく、自分の人生をダメにしてしまう方法がある。
そのいくつかは次のとおりである。
まずはいつも真っ先に自分の損得を考えること。
とにかく他人よりできるだけ多く欲しがること。
そして、敵になりそうな相手を排除すること。
あるいは、他人を色分けしたり、ランクづけすること。
際限なく快楽や刺激を求めること。
自由を野放図と解釈し、その野放図を自分にだけ許すこと。
独りでじっくりと物事に取り組まず、面倒なことは他人に任せ、そこから得られる実りや手柄や報酬を自分のものにすること。
狡猾さを知恵だと思うこと。
うまくやれる方法を探し求め続けること。
自分で本を読まずに、人づてに聞いたことを事実だと断定して信じること。
嫉妬、中傷、嘲笑、攻撃をすること。
苦難を決して引き受けないこと。
身銭を切らないこと。
自分にだけ怠慢とだらしなさを許すこと。
目立たない小さな盗みをすること。
怒ったり叱ったりすること。その権利が自分にはあると思うこと。
騒がしさの中にいることを好み、いつもお祭り気分でいること。
永遠に自分が生きるかのように錯覚すること。あるいは、自分を軽蔑すること。
これらのことを、あるいはこれらに類することを長く続けていると、人生は壊滅(かいめつ)した状態になり、ほとんど何も残せずに虚(うつ)ろな死を迎えることになる。
『頭がよくなる逆説の思考術』ディスカヴァー
「浄玻璃(じょうはり)の 鏡の前に立つまでは 秘めておきたし あのことも このことも」
という、相田みつを氏の言葉がある。
仏教では、人間は、亡くなってあの世に行く前に、誰もが一度は浄玻璃の鏡の前に立たなければいけないという。
浄玻璃の鏡には、その人の生まれてから死ぬまでの一生が、まるで走馬灯のように一瞬にしてあらわれる。
人に与えた悲しみが多い人は、身もだえするような、まるで地獄のような苦しみとなる。
人に与えた喜びが多い人は、まるで天国にいるかのような温かな気持ちになれるという。
我々が死んでからこの世に残せるものはたった二つ。
一つは、人に与えた悲しみ。
もう一つは、人に与えた喜び。
犯罪者になることなく、自分の人生をダメにしてしまう方法が、この、人に与えた悲しみが多く、与えた喜びが少ない人。
喜びを与え続ける人でありたい。 |
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