2015.3.3 |
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どういう人がおもしろいのか |
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糸井重里氏の心に響く言葉より…
ぼくは、ずいぶんたくさんの「対談」をしてきました。
おもしろくなかった「対談」は、ほとんどありません。
ぼくの「対談」の仕事は、テレビ番組などとちがって、週に一度とか決まってるわけじゃないので、「おもしろそうだな」と思った人とだけやるからです。
当たりしか入っていないくじを引いているようなものです。
では、どういう人と「対談」するのがおもしろいのか?
「こういうことかな?」と考えついたのは、話していて
「じぶんが変わることを怖れてない人」。
ことばのキャッチボールをしているうちに、「変わってもいい」と思っている人だと、話がたのしく転がるんですよね。
立場があるせいなのか、他の考えを思いつかないのか、じぶんを変えないと決めている人とは、「対談」にならず、「質疑応答」になってしまいます。
「あらま」とか「まてよ」とか、「うわぁ」とか、こころが揺らいで、新しい思いや考えを探そうとする。
そういう柔らかさのある人が、「対談」をおもしろくしてくれるんですよね。
「そういうおまえはどうなんだ」って?
自信あります、ぼくは変える気満々で、その場にいます。
じぶんが変わることは、たのしみのひとつだと思うのです。
『ぼくの好きなコロッケ。 (ほぼ日ブックス)』ほぼ日ブックス
話していておもしろい人は、どこがどう違うのかではなく、どこがどう同じなのかを探す人。
相手との違いを見つければ見つけるほど、心は離れていく。
「同じ」を見つければ、驚いたり、相づちを打ったり、うなずいたり、笑いあったりできる。
つまり、共感できる。
共感できれば、話題がピンポン玉のように飛び交い、言葉のキャッチボールはいつまでも続く。
共感は肯定だが、反発は否定。
そして、共感には包みこみむ優しさと、柔らかさがある。
おもしろい人は…
「じぶんが変わることを怖れてない人」
おもしろい人には柔らかさがある。 |
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