2015.2.10 |
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自分の思い通りにならないとき |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
小学生や、中学生、高校生の暴力的な犯罪が相次いだとき、ある大学教授がこんなことを新聞に書いていました。
「青少年の犯罪は、家庭教育が崩壊してしまったことに原因があるのだと思う。
家庭教育がもっとちゃんとしっかりしていれば、こういうことにはならなかったのではないか。
わが家では、まず言って聞かせ、それがどうしてもわからないときは、それから殴るようにしている。
すぐに殴ってはいけない、言って聞かせ、話をして、それで言うことを聞かなければ、殴ってでも言うことを聞かせるようにしている。
そのような方法論をとるべきなのではないか」
私は仰天しました。
この方は大学教授でしたが、たしか、教育関係の専門家だったと思います。
自分の思い通りにならないときや、自分の思い通りにならない人がいるとき、
それを、
『暴力を使ってでも言うことを聞かせる』
という方法論を教え込んではいけないのです。
それを親が教え込んでしまった結果として、子供は、自分の目の前にいる気にいらない人間、言うことを聞かない人間に対して、暴力的な方法を使うようになります。
親がそういう方法論を子供に教え込んだのです。
その子供は、大人になったときに、自分の子供に対しても必ずそうするようになるのです。
その子供に対して、怒鳴る、怒る、声を荒げる、言うことを聞かなければさらに暴力的に殴る、たたく。
言葉で教えたのではなく、気に入らない人間がいたらそうするのだ、ということを、身をもって実例として、見本として教え込んでしまったのです。
そうすると、その暴力的な家系は延々と続くのです。
何十代も何百年も、ずっと親が怒鳴り、怒り、声を荒げ、言うことを聞かなければ暴力を使ってでも言うことを聞かせる、という方法論をずっと継承していくのです。
どこかで、誰かの世代で、そこに気がつかなければなりません。
母親が子供と一緒に毛虫を見たとします。そして、
「キャーッ、気持ち悪い、いやだ!」
と叫んだとします。
そのとき、生まれて初めて毛虫を見た子供も、親のその反応によって、学習をします。
毛虫を観たら、
「キャーッ、気持ち悪い、いやだ!」
と叫ぶものである、と。
もし、この母親が、子供の前で毛虫を見たときに、
「わあ、かわいい。これはね、日がたつと、すごくきれいな蝶々になって、美しく空を舞うのよ。すばらしいわね〜」
と言ったとします。
そうすると、そう言われた子供は、毛虫を見ても、
「キャーッ!」
と騒がなくなります。
「気持ちが悪い」
と言わなくなります。
幼い子供に対する親の反応は、とても大きな影響を持っています。
まさに、「刷り込み」というものですが、親の示す態度、親の反応の仕方というものを子供は全部学び、学習していきます。
「学び」という言葉の語源は「まねび」からきています。
すべて、どのようなことも、子供は親のやった通り、言った通りに真似をしていくのです。
親の指導の通り、教育の通りにしていくのではありません。
親のやった通りに真似をし、そのようなやり方を身につけていきます。
小学生、中学生、高校生の暴力的な犯罪で、犯行をなした子供たちはみな、共通のものを持っていました。
それは親が、その子供に対して、平然と殴る、暴力的に接する、気に入らなければペンの頭の先で刺す、というようなことをやっていた人たちでした。
もし本当に自分の子供を愛しているのなら、その子供のために、そして、子孫を愛しているのなら、その子孫のために、絶対に暴力的な方法論、暴力的な解決方法を教え込んではなりません。
それを教え込めば、その家庭は、家系は、延々と何十代、何百年と暴力的な傾向が続くのです。
『楽しい子育て孫育て』Gakken
心理学の交流分析の中に、「脚本(スクリプト)分析」というものがある。
それは、7、8歳くらいまでの間に、親の影響でつくりあげられた、その人の生き方のクセや習慣のようなもの。
たとえば、「暴力的なアル中の父親を見て育ち、それがとても嫌だったのに、自分も親と同じ年になったら同じようになっていた」とか「アル中で暴力的な夫を選んでいた」とかだ。
脚本とは、舞台の上で演じなければならない筋書き。
しかし、本当は、その脚本はいつでも自分の意思で書き換えられる。
自分の思い通りにならないとき、声を荒げたり、すぐに怒ってしまうような人は…
もしかしたら、親から受けた脚本なのかもしれない。
「子供は親のやった通り、言った通りに真似をしていく」
どんな時も、和やかで笑顔を絶やさない人を目指したい。 |
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