2015.2.7 |
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病気は気付き |
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志賀内泰弘氏の心に響く言葉より…
沖縄に島袋勉さんという友人がいます。
彼は、「義足のランナー」として知られています。
2001年4月10日午後10時5分頃、島袋さんは千葉県船橋の電車の踏み切りで事故に遭いました。
意識が戻った時、彼は両足を失っていたのです。
そのうえ脳の機能障害も起こしてしまい、つい先ほどの出来事さえも忘れてしまう状態になってしまいました。
人の顔が二つも三つにも見えたり、めまいに襲われることも。
でも、彼はあきらめませんでした。
妹さんのサポートを得て、猛烈な、かつ過酷なリハビリを始めたのです。
切断された部分に包帯を巻くと、義足を装着できなくなります。
包帯なしで義足をはけば、猛烈な痛みが襲います。
それでも「傷の痛みは怖くない。怖いのは歩けなくなることだ」と歩行練習を続けました。
歩くだけではありません。
彼は「走る」ことにも挑戦します。
そして、義足をはいてホノルルマラソンを完走してしまったのです。
当然のことながら、猛烈な痛みとの戦いがありましたが、なぜ彼は、その戦いに打ち勝つことができたのか。
そこには、お母さんの一言があるといいます。
病院でリハビリをしている時、お母さんに電話をしました。
すると「痛い?」と聞かれました。
傷の周辺を氷で冷やし、痛み止めを飲み、坐薬まで使って痛みに耐えているのです。
「そりゃ痛いよ」と答えました。
するとお母さんは、
「そんなに痛い思いをして、何も学ばなければただのバカだよ。アハハハハ」
と笑って言ってのけたのでした。
島袋さんは、「自分は何を言ってもらいたかったのだろう」と自問したそうです。
「痛いでしょう。大丈夫?」といった同情の言葉を期待していたのでした。
その時、ハッと気付いたそうです。
「これがいけないんだ」と。
長く病院生活を続けていると、同情の言葉にすっかり慣れてしまう。
この時から、日々の努力の中から何かを学ぼうとす意識するようになり、周囲の光景がいろいろな色に変わって見えるようになったといいます。
人は、辛いことがあると失望します。
「なんて私は不幸なんだろう?」と思います。
一つ何かを失うと、人生が真っ暗闇で、すべてを失ったような気持ちに陥ってしまう。
そこで、大切なことまで見失ってしまうのです。
マイナスの出来事にも必ず「意味」があります。
その意味に気づくと、マイナスの出来事すらプラスに思えて「ありがとう!」と感謝できるようになります。
私自身にも一つ、思い当たることがありました。
大病をした時のことです。
生死をさまよいながらも無事、回復して退院できました。
しかし、治療の後遺症に苦しみ、「もう俺の人生は終わりだ」と落ち込んでいました。
そんな時、あるお医者さんに言われました。
「病気は気付きです。なぜそうなったのか、気付いて学ぶことが大切です。何かを気付かせるために、神さまがあなたを病気にしてくださったのです」
その言葉のおかげで、自分の考え方や心の持ち方を変える努力をするようになりました。
そうして初めて感謝の心がわかったのです。
すると、病気にすら感謝できる。
あなたの目の前にも、「ありがとう」と言える「幸せ」がいっぱいあるはずです。
『他人と比べない生き方』フォー・ユー
「病気」も「事故」も「失敗」も「挫折」も、苦しいこと辛いことなど、自分の意に沿わないことや嫌なことはすべて、何かの気付きのために神さまがプレゼントしてくれたこと。
その中には必ず、自分が成長するための何か学びがあるからだ。
そこから学ぼうとしない人は、他人やまわりのせいにしたり、愚痴や泣き言や文句を言い続け、そしてそのことをずっと許さない。
どんなことからも学ぼうとする人には「感謝の心」がある。
そして、病気や事故といった辛いことからだけでなく、日ごろの当たり前のような小さな幸せにも感謝ができる。
「歩くことができて幸せ」「仕事ができて幸せ」「食べることができて幸せ」そして「生きていて幸せ」、と。
すべてのことは学びの場と、感謝の念で日々過ごしたい。 |
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