2015.2.1 |
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花のある人 |
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日本経営合理化協会専務理事、牟田太陽氏の心に響く言葉より…
私は仕事柄「人の輪」を眺める機会が多い。
その多くは、経営者の方たちの輪である。
こうした輪を注意深く見ていると、100人のうち数人なのだが、不思議と人が集い、輪が生まれる経営者がいる。
言葉ではうまく表現できないが、人を集める独特の空気を持った経営者たちである。
経営者とは本来なんらかの魅力を持ち、その求心力に社員たちがついてくる存在なのだが、その経営者たちのなかでもずば抜けて人を惹きつける魅力を持った経営者がいる。
そのような人を集める独特の空気を持つ経営者のことを、我々は「花のある経営者」と呼んでいる。
経営者にとって「花」とは、えもいわれぬ魅力のことである。
「花のある経営者」という観点から経営者を眺めると、二代目、三代目の経営者たちよりも、創業者に「花のある経営者」は多いのかもしれない。
特に、この世代は戦中、戦後の焼け野原から自分の腕一つで会社を盛り立ててこられた方が多く、その苦労体験が人間を磨くからだろう。
経営者の魅力というのはどこで決まるのだろうか。
単に頭がいいというだけでは魅力とは言えないのではないだろうか。
頭がいいからといって、社員がその経営者についてくるかというと、決してそうではないからだ。
戦後の日本の教育というのは、同じような人間を大量生産するような教育をしてきた。
それは学歴社会となって以降、いい大学に入って、大企業に入れば、それが一番の安定と考えられてきたからだ。
その結果、学校ではテストでOXをつけて採点をし、順位をつけてきた。
そこには、「正しい」「正しくない」という価値基準しかないと言えるだろう。
しかし、社会に出てからはどうだろうか。
社会に一歩出ると、そういう価値観は90%以上役に立たないと言っていいと思っている。
なぜならば、人が洋服を買うのも、車を買うのも、家を買うのも、食事をするのも、結婚相手を選ぶのも、すべては「好き」とか「嫌い」という価値基準で判断をしているからだ。
そこには、「正しい」とか「正しくない」という価値基準は存在しない。
その「好き」とか「嫌い」というのは、人間の「感性」や「情」の部分からくるものである。
誰もが知っている通り、今の日本はモノが余り、どんな業種でもライバルが存在し、商品の優位性というのはないに等しくなってきている。
そのなかで、お客様に自社の商品を選んでいただき、買っていただくためには、経営者として、そういった「感性」や「情」を磨くことが非常に重要になってくる。
人の魅力もそうである。
単純に頭がいいとか悪いとかではなく、感性や情の部分、たとえば、話がとにかくうまくておもしろい、泣けるような文章を書ける、絵がうまい、歌がうまい、スポーツができるなど、そういったものが人間の感性を磨き、それが人の魅力の根本を形成していくのである。
強烈な個性と言ってもいいだろう。
同性であればそういうところに憧れや尊敬を感じたり、異性であれば好意を持ったりもする。
それが人の魅力というものだ。
『「後継者」という生き方』プレジデント社
経営者に限らず、また男女も年齢も関係なく、魅力のある人には「花」がある。
「花」がある人は、その人が入ってくるだけで、座がパッと明るくなり、笑い声が多くなり、華やいだ雰囲気になる。
反対に、その人が入ってくるだけで、場に冷たい空気が流れ、周りが暗く沈んでしまう「花」のない人もいる。
「花」のある人には、また会いたくなるような「余韻(よいん)」がある。
余韻とは、人の心にいつまでも残るような、笑顔、温かな言葉、包み込むやさしさ、感謝、明るさ、等々を持っていること。
つまり、頭がいいとかモノを知っているという理性や知性ではなく、人の心にうったえる感性。
物事を選ぶとき、人は、つきつめてみれば、「好き」とか「嫌い」という情の部分で選んでいる。
「正しい」とか「正しくない」という理屈で選ぶことはほとんどない。
これは、政治でも、経済でも、経営でも、芸術でも、商品でも、なんでも同じだ。
「好きだから好き」、であり、「嫌いだから嫌い」であって、そこに理屈はない。
人から好かれる「花のある人」でありたい。 |
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