2015.1.26 |
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まわりを不快にする人 |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
ある有名観光地で、蕎麦屋に入りました。
雨の日の昼時、店の中は、4人掛けのテーブルが4つほどと、小上がりの座敷に4人用座卓が4つ。
満員になれば30名ほどが入れる蕎麦屋です。
中はすでに20人ほどの客がいました。
食べている人が半分、待っている人が半分ほどです。
店に入って、不思議な気がしました。
シーンとしているのです。
誰も何も話をしていない。
店中に会話がないのです。
普通は、20人も人がいると結構店内がワーンとしているものですが、シーンとしていました。
私のほうは4人連れでした。
テーブル席が空いていないので小上がりに上がり、座卓に着きました。
私をこの店に案内した人が、メニューを私に差し出しながら、小さな声で言いました。
「どう思います?」
メニューを見て、驚きました。
書き取ったわけではないので、完全にそのとおりの言葉ではありません。
ただ、趣旨は以下のようなものでした。
「ここは蕎麦屋であって、喫茶店ではありません。
お喋りをしたい人は喫茶店に行ってください。
食べ終わったらすぐに席を空けてください。
食べ終わっての無駄なお喋りはお断りします」
「店とトラブルが生じた場合は、正規料金の5割増しの料金をいただきます。
トラブルによって生じた問題はすべて、御客様の責任とします」
多分、皆、このメニューを見て、これ以上ないというほどの「不快」を味わったに違いありません。
この蕎麦屋に、過去に嫌な客が来たことは間違いありません。
食べ終わったにもかかわらず長話をし、次の客が待っているのに談笑し続けていた客がいたのでしょう。
それで頭に来て、そういう客を排除するための「断り書き」を作った…。
そこまでは理解できます。
ただ、そういう嫌な客と、善良で常識的な普通の客とでは、後者のほうが圧倒的に多いはずです。
1000人のうち、店の人が我慢できないほど長居をする客は、10人いるかいないかでしょう。
10人の嫌な客向けの“敵意”と“憎しみ”を、ほかの善良な990人に向けてしまったのです。
1%の「嫌な客」向けの「断り書き」を、残りの99%の「温かい客」「普通の善良な客」に対して用意してしまった。
もったいない、と私は思いました。
どんなにおいしい蕎麦を出しても、これでは二度と客は来ない。
1%の(一事)のために、99%(万事)を敵にしてくってかかっている、というのが、この店の姿です。
「一事が万事」に似せて言うなら、「一事で万事(一事で万事を決めてしまうこと)」です。
ちょっとした小さな出来事(嫌なこと)をもとに、社会すべてに対して、恨み、憎しみ、呪ってしまう…。
そういう敵意にあふれた態度を、温かい人や親切な人にも日常的に示している…。
そういう損なことはやめたほうがいいと思います。
電話に必ず不機嫌に出る人がいました。
不機嫌に「はい」というだけで、それ以上何も言わずに黙って、名前も名乗らない。
「どうしてそんなに不機嫌に電話に出るの?」と聞いたことがあります。
その答えは、「よくいたずら電話がかかるんです」とのことでした。
どのくらいの頻度でいたずら電話があるのかを聞いてみたら、その答えは、「1年に1度か、2度」というものでした。
「その1年に1度か2度のいたずら電話のために、ほかのすべての友人の電話に対して、そういう不機嫌な出方をするんですか」と、驚いたものでした。
彼にはいろいろな仕事を頼んでいたのですが、電話をするたびに“不快”な応対をされるものですから、結果としてしだいに疎遠になりました。
『神さまに好かれる話 ―悩みを解消する法則』五月書房
「羮(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹(ふ)く」ということわざがある。
熱いスープを飲んでやけどをしたのにこりて、冷たい料理であるなますも吹いてさますという意味だが、以前の失敗にこりて、度を越して必要以上に用心深くなる、ということだ。
昔の失敗や嫌なこと、あるいは屈辱やはずかしめは絶対に忘れない、そして許さない、というような人がえてしてこんなふうになりやすい。
理(り)や知(ち)の人だ。
理や知の人は、鋭(するど)くて冷たい。
鋭くて冷たい人は、まわりに、冷たさや不機嫌さや不愉快さをまき散らしてしまう。
反対の、情(じょう)や感性の人は、ボーっとして温かい。
ボーっとしている人には、緩(ゆる)み、という「ゆるし」がある。
どんなときも、まわりを温かくする人でありたい。 |
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