2014.12.25 |
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イマジン |
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外交評論家、加瀬英明氏の心に響く言葉より…
三月に東日本を襲った大震災は、日本国民の精神性がきわめて高いことを、世界へ向かって示した。
未曾有の天災だった。
それにもかかわらず、日本国民が、規律も礼節もいささかも失うことなく行動したことに、中国や韓国まで含めて、全世界が称賛している。
日本人の礼節が、世界から絶賛された。
先の第二次大戦に敗れてから、日本が世界にわたって、これほど高く評価されたのは、はじめてのことである。
他の国々であれば、人々が平常心を失って、略奪が頻発するなど、治安が大きく乱れるものである。
日本が世界の手本になったと、いってよい。
全世界で、日本の被災者を援けようという、運動がひろまった。
私も海外の多くの友人から見舞いのeメールや、電話をもらった。
オーストリアの音楽評論家は、東日本大地震が発生してから、ウィーンで日本にかかわりがない三つのコンサートに出席したが、いずれのコンサートでも、演奏前に日本の犠牲者に対する黙祷(もくとう)が行われたことを知らせてくれた。
3年まえの中国の四川大地震では、8万人以上の死者と、多数の行方不明者が発生したのにもかかわらず、被災民を励まし、援けようという輪が世界にひろまることがなかった。
ふだん、貨幣価値によって計れるものが、いっさい流されて失われてしまうと、人の真価が試される。
津波によってすべてが押し流されてしまった時には、心しか残らない。
日本がしっかりとした、精神的な根を張っている国であることを、覚らされた。
日本人の高貴な精神は、先人たちの贈り物である。
そのような精神が、どのようにしてもたらされたか、その根がどこにあるのか、考えたい。
日本文化は、独特なものである。
日本人は古代から和の心を、保ってきた。
この和の心は世界のなかで、日本人だけが持っているものだ。
そこから、全世界が驚嘆した自制心、克己心、利他心、同胞愛が生まれてくる。
日本人の和の心は、日本の2000年以上にわたって民族信仰であってきた神道に発している。
神道が日本人をつくり、日本人が神道をつくった。
神道というと、今日では宗教の一つとされているが、宗教であるよりも、心のありかたである。
神道という言葉が生まれるはるか前に、発生した信仰である。
神々のあいだの和、人々のあいだの和を重んじ、人が自然に属しているという考えかたが、日本人の心をつくってきた。
ジョン・レノンは、私の従姉、小野洋子(オノ・ヨーコ)の夫だった。
ジョンは日本人の心と、神道に魅せられた。
ジョンは1971年に、有名な『イマジン』という歌を発表した。
「天国なんてありゃしないと、想像してごらん。
地獄もありゃしない
そして、宗教もない。
そしたら、みんな平和に生きられるってさ」
というものだ。
私は『イマジン』は、神道の世界を歌っているにちがいないと、思った。
そして、そうジョンにいった。
ジョンとヨーコは靖国神社、さらに足を延ばして、伊勢神宮を参拝している。
ヨーコは明治の女のやさしい気性(きだて)と、凛とした男勝(おとこまさり)の気質を、受け継いでいる。
日本では、多くの家に神棚と仏壇が同居している。
だが、誰もそれを不思議に思うことがない。
神々が仲よく、共生しているのだ。
今日でも、日本人はこの世のことは神に、あの世のことは仏に頼んで、若い男女が結婚式をキリスト教のチャペルで挙げるというように、神々の棲(す)み分けを行っている。
私はこのような風習を、けっして軽佻浮薄(けいちょうふはく)だと思わない。
日本人にとって、神々にはそれぞれ備わった霊威(れいい)があって、ご利益を授かれるのだ。
ほとんどの日本人が、外国人から「あなたの宗教は何ですか?」とたずねられたら、すぐに答えることができないものだ。
私はこれこそ、日本人の長所の一つだと、思う。
『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか(祥伝社新書249)』祥伝社新書
他の宗教になくて、日本の神道にだけにある独特のものが「祓(はら)え」の儀式だ。
知らず知らずに身につけてしまった罪や穢(けが)れを、祓えの祝詞(のりと)や大幣(おおぬさ)で清める。
穢れとは、「気枯(けが)れ」であり「気離(けが)れ」のことであり、気が衰え、気力が充実していない状態のこと。
また、罪とは、一般的な罪を犯すことを言うだけでなく、怒り、憎しみ、悪口、不平不満、心配、憂い、嫌なこと、等々のネガティブなことをすべてをさす。
そして、「清き、明(あか)き、正しき、直き」世あれと、参列者だけでなく、この世のすべての罪や穢れを払う儀式が「祓え」だ。
それらすべてを、祓って、清めて、そして笑う。
まさに、ジョン・レノンの「イマジン」の世界。
日本人の心のよりどころである神道を大事にしたい。 |
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