2014.12.21 |
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借り物の人生 |
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二宮尊徳翁の心に響く言葉より…
「人と生まれ出たるうへは、必ず死する物と覚悟する時は、一日活きれば即ち一日の儲け、一年活きれば一年の益なり。
故に本来わが身もなき物、わが家もなき物と覚悟すれば、跡は百事百般みな儲けなり。(夜話10)」
(略解)元来わが身わが家も、わが身わが家でなく、期限つきの借りものと覚悟すれば、すべてのものごとは、思わぬ儲けものの連続ということになる。
『二宮尊徳一日一言』(寺田一清編)致知出版社
自分の身体は自分のもの、と誰もが思っている。
もしそうであるなら、死はやってこないことになる。
なぜなら、この人生が終わったときには、この身体はお返ししなければならないからだ。
本でも、車でも、洋服でも、自分で買った自分のものなら、誰かに返す必要はない。
しかし、この世を去るときには、何ひとつあの世に持っていくことはできない。
つまり、どんなに高価な宝石であろうと、ほんのつかのまの借り物、ということ。
室町時代の閑吟集(かんぎんしゅう)に、こんな歌がある。
「夢の夢の夢の世を うつつ顔して
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」
(夢のようなこの世を、わけ知り顔をして。
真面目くさってつまらなそうに生きたところで何になる。
この一生は夢。
ただ狂え)
狂えとは、遊んで暮らせということではない。
常軌を逸(いっ)した行動、狂ったように集中した生き方、ということ。
身体も、お金も、物も、すべて借り物。
だからこそ、大事に使わせていただかなければならない。
そして、つかのまの人生。
だからこそ、狂ったように真剣に生きなければならない。
今生きていることは儲けものの人生。
感謝の気持ちで、この人生を大切に生きたい。 |
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