2014.12.3
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人のことは言えない |
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井内由佳氏の心に響く言葉より…
よく、商店の店主や中小企業の社長さんが、人を採用するときに「いい人が来ますように」と言って相談しに来られます。
厳しい言い方になりますが、自分がいい人じゃなければ、いい人は来ないのです。
神さまは「同じような人が集まる」と言います。
いい人に来てほしいなら、自分がいい人になること。
そのためには、まず自分を知ること。
自分を知ると、たとえば、撮られた覚えのないビデオに映っていた自分の姿を見たときのように、「人のことは言えない」と思うくらい謙虚な気持ちになるものです。
そして、他の人がいかに素晴らしいかがわかり、尊敬や感謝の気持ちが湧き出てきます。
逆に、自分の姿をまだ知らないうちは、人の粗(あら)がよく見えるものだから、不満や批判が心を埋め尽くし、人に対して「変わってほしい、何かをしてほしい」と思う気持ちが強いものです。
そういう状態の人は、誰かに「何かをしてあげたい」という気持ちにはなれせん。
神さまは「したことをされる」といつも言っています。
つまり、人をうれしい気分にさせることが出来ない人は、あまりしあわせにはなれないということでしょう。
でも、いくら人をうれしい気分にさせるといっても、口先だけでそれをしたときは、かえって始末の悪いことになります。
結局は、そのうち本心が露呈して相手をがっかりさせることになるからです。
心にもないことは、あとあと厄介で、自分の運も落としますから、言わないことです。
『わたし、少しだけ神様とお話できるんです。 ((幻冬舎文庫))』幻冬舎文庫
人の欠点ばかり目につく人は、自分を知らない人。
人の長所ばかりが目に着く人は、自分の姿を知っている人。
つまり、不平不満や愚痴や悪口、批判ばかりしている人は、己を知らない傲慢な人。
「いくら、技術に優れ、スーパースターでも…、その上には、勝者が、チャンピオンがいる」(元サッカー選手、監督・ヨハン・クライフ)
上には上がいる。
それが分からずに、威張(いば)る人は恥ずかしい、身の程(ほど)知らず。
「人のことは言えない」
自分に欠点があるように、人にも欠点はある。
そして、人をうれしい気分にさせることができない人は、あまりしあわせにはなれない。
どんなときも、人をうれしい気分にさせる人でありたい。 |
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