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2014.11.30

秀吉の可愛げ


木村耕一氏の心に響く言葉より…

豊臣秀吉と明智光秀が、ともに織田信長の家臣として、近江(現在の滋賀県)の琵琶湖の周辺を守っていたころの話である。

光秀は、信長から坂本に城を築くように命じられた。

ある日、建設工事の指揮をしていた光秀は、この近くの「唐崎」という土地は、『古今和歌集』や『新古今和歌集』に出てくる歌の名勝であることに気づいた。

今では荒廃して何も残っていないが、ここに松の大木が茂っていたはずである。

光秀は、唐崎に新しい松を植えて名勝を復活させたいと思った。

どこかに、ふさわしい松はないかと探していたところ、ちょうど琵琶湖の北方に、枝振りのいい松の大木を発見したのである。

しかし、そこは敵の領地であった。

光秀は、秀吉の部隊にも応援を頼んで松を掘り起こして運搬する作戦に出た。

ところが、首尾よく松を船に積み込んだと思った時、

「グワーン」

という銃声が響いた。

小谷城の浅井軍に見つかったのだ。

秀吉の部隊も応戦し、日暮れ前にはようやく撃退することができたが、数人の死傷者を出してしまったのである。

前線の最も有能な二人の司令官が、信長の許しを得ずに、かってな行動をとって損害を出したのだ。

岐阜にいた信長は「バカめっ」と叫び、厳しい叱責の使者を、光秀と秀吉の元へ送った。

この時の二人の態度には、その後の人生を象徴するように、非常に大きな開きがあった。

使者がやがて岐阜に帰ってきた。

藤吉郎のもとに行った使者は、

「木下どのはたいそうな恐縮ぶりで、これは腹を切らねばならぬと飛びあがり、真赤な顔でこの岐阜の方角にむかってさんざ叩頭(こうとう)なされました」

と報告したから、信長はわっと大口をあけて笑い、まるで猿めの動作がみえるようだ…と言った。

その使者とともに藤吉郎からも使者が同行しており、近江でとれた山菜、魚介などを信長に進上した。

が、光秀に差しむけた使者は、ひどく理屈っぽいことを報告した。

「明智殿の言葉でござりまする」

として唐崎の松がいかに古歌に名高きものであるかを説き、それを復活して天下に評判を広めしめることこそ殿の御威光、御仁慈を世に知らしめる良策であると存じまする、というものであった。

この口上に信長は激怒し、

「わしにものを教える気か」

とどなった。

その奇行の釈明がこうも理屈っぽく、とりようによってはこう憎々しげでは、光秀を愛してやれる余地がない。

…可愛げがない。

というのが、信長の本音であったろう。

むろん、光秀からはその心根の可愛らしさをあらわすような進物は、蜆(しじみ)一折もとどかない。

司馬遼太郎の『国盗り物語』より

『新装版 思いやりのこころ』1万年堂出版


松下幸之助が、成功する人の条件の第一にあげたのが「可愛げがある人」。

可愛げがあるとは、「言い訳をしない」、「一途(いちず)である」、「黙々とがんばる」、「素直」、「完璧ではなく隙(すき)がある」、「明るくてめげない」、「愛嬌(あいきょう)がある」等々のことをいう。

だから、上司や年上の人から引きがあり、周りの人からも人気がある。

その真逆にあるのが、理屈っぽい人。

理屈っぽい人は、人から好かれない。

理屈っぽさは人を冷えびえとさせるが、可愛げや愛嬌は人の心を温かくする。

可愛げのある人でありたい。


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