2014.11.25 |
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日本人にとって何が大切か |
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日下公人氏の心に響く言葉より…
振り返るべき歴史がある国には、プライドがある。
アメリカは建国してそろそろ240年だが、まだ少し歴史が足りない。
中国は立地している場所は古いが、住民はどんどん入れ替わっている。
新しく入ってきた支配者はその都度自分に都合よく歴史を漂白した。
中華人民共和国は1949年の建国だから、まだ70年に満たない。
単線的でひだがないとプライドが育たずに、単純な思考が好まれる。
敵を作ってやっつけることが正義だと簡単に信じたりする。
海外のニュースを見ていると、それがよくわかる。
それにくらべると日本は二重、三重構造の複雑な国で、日本人は多様化している。
とくに欧米と比較すると、一神教のキリスト教を背景にする欧米の価値観は一本道だが、日本は多神教の国だ。
神様はいくらいてもいいのである。
新渡戸稲造は『武士道』で日本人の思考や価値観を伝えたが、これはタイトルの通り武士の道徳である。
日本人を象徴的に表しているのだが、江戸時代、武士よりもずっと多かった庶民に浸透していたのは石門心学(せきもんしんがく)だった。
石門心学というのは、江戸時代中期に思想家の石田梅岩(ばいがん)が開いた実践道徳である。
庶民に向けて正直の徳を説き、私心をなくして自分を取り巻く社会全体に貢献しなさいという教えだった。
とくに、商業の意味と大切さを説いて、商人にも商人道があるとした。
日本中に石門心学の塾が自然発生的に何百もできた。
江戸時代、石門心学が日本中で流行ったのは、日本人みんなが「自分たちはどう生きるべきか」というこに興味があったからだ。
石門心学の教えを読むと、あっと驚くと思うが、教育勅語とぴったり同じなのである。
教育勅語は「日本人にとって何が大切か」を明治天皇が国民に語りかける形で示したものだが、その中身は石門心学である。
教育勅語は昔から日本人が価値観や美意識としてきたものを徳目として列挙したものである。
徳目の部分を口語訳してみよう。
「親に孝養を尽くし、兄弟姉妹は仲良く助け合い、夫婦は仲睦(なかむつ)まじく、友人は胸襟(きょうきん)を開いて信じ合い、自分の言動を慎み、すべての人々に愛の手を差し伸べ、勉学に励み、仕事に専念し、知識を養い、人格を磨き、世のため人のために貢献し、法律や秩序を守り、非常の事態では勇気を持って戦いましょう」
今のわれわれが読んでも、もっともなことだと思うだろう。
明治時代の国民も、面食らったりはしなかった。
日本の大衆はそれぐらい程度が高かった。
教育勅語として明治時代ににわかに作ったのではない。
昔から、天皇も国民もこれを実践しようと心がけてきたのである。
『「新しい日本人」が創る2015年以後』祥伝社
深みや厚み、そして重みや沈みのない人間は薄っぺらで魅力がない。
奇をてらった発言や行動で目立とうという人間ほど、中身がないものだ。
単線的でひだのない人間のことだ。
単線的でひだがないとプライドが育たない。
伝統文化と同じく、そこに、深みや厚み、そして重みや沈みがなければプライドは生まれないからだ。
人としてあたりまえの徳目、石門心学。
そして、その思想を受け継いだ教育勅語。
古来より受け継いできた日本人の価値観や美意識をもっと大事にしたい。 |
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