2014.11.23 |
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ケネディ大統領が一番尊敬した日本人 |
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カリスマ講師、寺松輝彦氏の心に響く言葉より…
年間およそ3万の人が自殺している。
事業の失敗、家庭の崩壊、多額の借金、癌宣告、介護疲れ、人の裏切り、孤立感。
追いつめられて、「できない」「ムリだ」「だれも信じられない」「孤独だ」と思いこんだとき、死を選ぶのかもしれない。
中古車販売会社の社長・大山氏も覚悟を決めた一人だった。
自分には1億ほどの生命保険をかけていた。
中古車販売の事業が振るわず、銀行からの借入金の負債や取引先の未払いなど6億円の債務があった。
しかし、最後の一線までは踏み切れない。
悶々とした日が続いていた。
すでに、42歳の大山は円形脱毛症になっていた。
ふと入った本屋で立ち読みして衝撃を受け、自宅に買って帰り一晩で読み通したのが、「上杉鷹山(ようざん)」について書かれた本だった。
上杉鷹山の事績に勇気づけられて、大山は「生きよう」と思った。
上杉謙信以来の名門米沢藩は、財政赤字で借金が膨れ、収入の15万石すべてを返済にまわしても百年以上はかかる状態だった。
明和元(1764)年、ついに藩主上杉重定は、幕府へ版籍を奉還したいと尾張藩主徳川宗勝に相談した。
どうにもやっていけないから、いっそ領地をすべて返上すると前代未聞の話を持ち込んだのだ。
驚いた宗勝は、考え直すように説得したうえで重定を隠居させ、九州の遠縁の高鍋藩から養子を入れ、藩政改革を進めようとした。
その養子が上杉治憲(はるのり・鷹山)だったのである。
鷹山は改革を進める。
だが小藩出身の養子であることから改革方針は軽んじられて、格式にこだわる家老たちの反対にあう。
重臣らの非協力のなか、自ら倹約を徹底した。
粗末な木綿の服を着て、一汁一菜の食事で通した。
さらに華美な儀式や慣習を質素にした。
荒地の開墾を行い、漆(うるし)やこうぞなどの特産物の育成をした。
人を派遣して学ばせ、織物や紙すきの技術導入も図った。
不要な組織の整理で、藩士たちの無駄な城勤めからの解放を進めた。
手が空いた下級藩士たちは、開墾や特産物の栽培に力を注ぎ、武家の婦人たちは織物や紙漉きに精を出した。
やがて藩内の産物や加工品が藩外や江戸でも売れるようになった。
ようやく財政改革の成果が出そうになってきたとき、武士が百姓町人の真似をするなどもってのほかと、改革を快く思わない重職7名が連署して改革阻止の行動に出た。
しかし改革に期待を寄せる下級武士団から鷹山は支持され、この改革妨害を乗り切った。
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
鷹山はこの歌を残している。
アメリカの35代大統領ジョン・F・ケネディは、日本人記者団に尊敬する日本人は誰かと質問されて、上杉鷹山と答えたエピソードがある。
「できない」と諦めるか。
「できる」と考えられるか。
リーダーシップを発揮するうえで、決定的な違いが出る。
「できる」という意識に立つ。
この意識は、その人の人格から現れる。
上杉鷹山は、幼いころから細井平洲(へいしゅう)という学者について学んだ。
藩主たるもの、どういう考え方と行いをしなければならないかを教わり、人格を磨いた。
『偉人はかく教える』致知出版社
何か問題に突き当たったとき、「これは無理だ、できない」と思うのか、「もしかしたら何とかなるかもしれない」と思うのかで、道は大きく分かれる。
無理だと思えば、そこから先に一歩も進むことはないが、できるかもしれないと思えば、いつか問題を解決できるチャンスを得たことになる。
「できるかもしれない」、という根拠のない自信や、ばくぜんとした思いこみは、人生においてはとても大事だ。
滝口長太郎氏の「打つ手は無限」という、心に響く素晴らしい詩がある。
『打つ手は 無限』
すばらしい名画よりも
とても素敵な宝石よりも
もっともっと大切なものを私はもっている
どんな時でも、どんな苦しい場合でも
愚痴を言わない
参ったと泣き言を言わない
何か方法はないだろうか
何か方法はあるはずだ
周囲を見回してみよう
いろんな角度から眺めてみよう
人の知恵も借りてみよう
必ず何とかなるものである
なぜなら打つ手は常に無限であるからだ
どんな難問でも、できるかもしれない、と思えば、いつかできる可能性がある。
なぜなら、打つ手は無限だからだ。
困難なときは、上杉鷹山のエピソードを思い起こしたい。 |
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