2014.11.3 |
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運がいいと言い続ける |
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ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…
ものの見方次第で、人生に革命が起きます。
たとえ、大ピンチにおいこまれたとしても、
たとえ、犬のウンチをふんだとしても、
たとえ、絶望の底に陥ったとしても、
たとえ、妻が悪妻でも、夫がどうしようもない男でも、
ものの見方次第で、それを面白がれて、その結果として、行動を変えて、状況を変えることだってできるのです。
人生を退屈にするか、面白くするかは、
「現実」が決めるのではありません。
「考え方」が決めます。
起きた出来事をどう捉え、どう考えるかという「思考」が変わると、「感情」に変化が起き、「行動」に違いがあらわれて、「相手の反応」が変わり、「結果」(現実)が変わっていくのです。
思考を変えれば「最悪」をも「最高」にできるのです!
「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは心なりけり」
これは、幕末の革命児、高杉晋作の辞世の句として伝わるものですが、面白くもなんともない時代でも、心次第で、面白く生き抜ける、というわけです。
『秋元康式・運の見方』
タクシーから降りたその足に、なんと犬のウンコが直撃!
このとき、作詞家の秋元康さんは感動して動けなくなったそうです。
なぜ感動したのでしょうか?
場所はロサンゼルス。
タクシーから降りて、一歩目がウンコ直撃だったら…。
普通なら「ツイてない!」って思う場面です。
一体、どういう見方をしたら、この場面で感動できるのでしょうか。
ロサンゼルスでタクシーを降りた一歩目にウンコがある確率。
そしてそれを見事に踏む確率。
その確率の低さに思いを馳せていたら、秋元さんは感動で一歩も動けなくなったそうです!
「これを踏めるやつは誰もいない!
すごいな、おれは」(秋元康)
秋元さんは言います。
「エジソンは『成功とは99%の汗と1%の才能である』と言ったようですが、僕の場合は、98%の運と1%の才能と1%の努力じゃないかと思うんですよ」
自分より努力している人は世の中にいっぱいいる。
自分より才能がある人も世の中にいっぱいいる。
だからこそ、大切なのは「運」じゃないかと秋元さんは言うのです。
じゃあどうすれば運がよくなるのか?
それは…
「自分は運があると思えばいいだけなんです」
犬のウンコを踏んでも感動できたのは
「自分は運がいい」と秋元さんは決めているからです。
自分は運があると思えばいいだけ。
そこに根拠はいらないんです。
何が起きたって、「運がいい」と言い続けるんです。
水をこぼしたときも、「なんて運がいいんだ。これがコーラだったらシミになっていたし、青酸カリだったら飲んで死んでいたな」とか(笑)。
ダッシュしたのに電車に間に合わなかったときは、「なんて運がいいんだ。朝からこんなに運動ができて」と思えばいいし、
今日のひすい家のように、おなかをすかせて帰ったのに、妻が夕飯をつくってくれていなかったときでも、「運がいいな〜。おかげでダイエットができる!」
そう思って歯をくしばるんです(笑)。
『ものの見方検定――「最悪」は0.1秒で「最高」にできる!』祥伝社
何の勉強もせず、その上、ものの見方や、考え方の訓練もしなかったら、ほとんどの人は悲観的な考え方になっているはずだ。
「心配事の9割は起こらない」というような本がよく出ているが、それは逆に言えば、ほとんどの人が心配性で、悲観的に考えてしまうということだ。
ものの見方や考え方は、ほぼその人の癖(クセ)と言ってもいい。
つまり、それはその人の習慣によって決まる。
そして、習慣は、日ごろのちょっとした訓練によって変えることができる。
「自分は運がいいと言い続ける」
運がいいと思えば、見方も変わる。
根拠のない自信はとても大事だ。 |
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