2014.9.18 |
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キズのあるリンゴ |
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外山滋比古氏の心に響く言葉より…
青森へ行った帰りに、朝市に寄ってリンゴを買った。
キズのあるリンゴを売っているおばあさんがいる。こちらが、
「キズのあるリンゴの方が甘いんですよね」
と言うと、おばあさんが、
「東京のひとのようだけど、よくごぞんじです。みんなにきらわれています」
という意味のことを土地の言葉で言った。
うれしくなってもち切れないほど買ってしまった。
キズのついたリンゴ。
なんとかそれをかばおうとして、力を出すのであろう。
無キズのリンゴよりうまくなるのである。
キズのないリンゴだってなまけているわけではないが、キズのあるリンゴのひたむきな努力には及ばないのか。
人間にも似たことがある。
試験を受ければ必ず合格、落ちるということを知らない秀才がいるものだ。
他方では落ちてばかりいる凡才がたくさんいる。
もちろん、秀才の方がえらくなるけれども、落第ばかりしていた人が、のちになって、たいへんな力を発揮、かつての秀才を追い抜くことも、ときどき起こる。
若いときに失敗をくりかえすような人は、はじめはパッとしない。
しかし、いろいろな経験を重ねているうちに、実力があらわれる。
ちょっとした失敗は人間ならだれしもあることだが、失敗したことのない秀才、エリートは、なんでもないミスで破滅したりする。
K氏は大組織のトップであった。
その前は官僚として最高のコースをのぼりつめた大物だった。
あるとき、その組織でちょっとしたトラブルがおこった。
K氏は「私は相談を受けていない。知らなかった」と言った。
責任回避。
トップに相談しないで、できることではないのは内部の者には明々白々である。
しかし、苦労を知らないK氏は、もっともまずい、言いのがれをした。
たちまち一般からの非難を浴び、やめたくないポストを投げ出さざるを得なくなった。
失敗を知らない、すばらしい経歴がアダになったのである。
K氏は幸福すぎたために不幸になった。
H氏は家が貧しく、小学校すらロクに出なかった。
昔だから、そんなことが許されたのであろう。
両親が早く亡くなり、いろいろつらい目にあいながら、二十歳になるかならずかのとき世界的発明をした。
ところが関東大震災でハダカ同然になり、さらにあくどい同業者から商売をうばわれるといったこともあったが、H氏は、めげず、へこたれず、努力をつづけて大企業を育てた。
いくつものキズを受けながら、それを乗り越えて大器になったH氏は、普通の人間に勇気を与える。
『リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる』幻冬舎
蓮(はす)の花は、にごった泥の中でしか咲かない。
人も同じで、幾多の失敗や試練をくぐりぬけ、泥水をかぶって生きてきた人ほど、真の強さがあり、深い人間味(にんげんみ)という花を咲かせることができる。
キズのあるリンゴの方が旨い、ということだ。
深みがあるというのは、振幅のおおきさが大きいということ。
成功と失敗の落差、幸福と不幸の落差、楽しさと悲しさの落差…
落差が大きければ大きいほど、人生というドラマは盛り上がる。
そして、人は、それらを乗り越えるたびに、深い魅力的な人間となる。
深くて魅力ある人でありたい。 |
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