2014.9.7 |
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一人で決めるということ |
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曽野綾子氏の心に響く言葉より…
どんなに年が若くとも、何かしようと思ったら、一人でできなくてはいけない。
女の子などは映画に行くにも、トイレに行くにも、誰かと連れ立って行くが、その癖は一刻も早くやめて、一人で、あらゆる不安や危険をおしのけて、やれる癖をつけるべきである。
考えてみると、世の中の重大なことは、総(すべ)て一人でしなければならないのである。
生まれること、死ぬこと、就職、結婚。
親や先輩に相談することもいい。
しかし、どの親も、どの先輩も、決定的なことは何一つ言えない筈である。
すべてのことは、自分で決定し、その結果はよかろうと悪かろうと、一人で胸を張って引き受ける他はない。
本当に学ぶのは、一人である。
良き師に会い、大きな感化を受けることはよくあるが、それも自らが学ぶ気持ちがない限り、どうにもならない。
女が男と同等に働いて真の男女同権を完成しようと思うなら「一緒に行きましょうよ」とか「あなたがなさるなら、私もするわ」とか「お揃いでやりましょうよ」などという発想を排除することである。
誰かと一緒でなければ、というのは、つまり幼児性のあらわれであり、それはとうてい一人で、世の中で仕事をしていける、という条件とは考えられない。
つまり成功したくなかったらすぐ、人を頼りにすればいいのである。
『辛口・幸福論』新講社
旅に出たり、食事するときは、一人より誰か気の合った人とするほうが楽しさも数倍増す。
しかし、こと人生の岐路となるような大事な選択をするときには、たとえ誰かに相談したとしても、最後の決断は自分がしなければならない。
誰のものでもない自分の人生だからだ。
これは、最終決断をしなければならないリーダーになってみればすぐにわかる。
しかし、会社の経営者や組織の長だけがリーダーではない。
自分の人生においては自分がリーダーだ。
自律(自立)していない人が、リーダーになることくらい悲劇的なことはない。
自律(自立)の対極にあるのが幼児性。
生まれてきたのも一人なら、死んでゆくときも一人。
自律(自立)した大人でありたい。 |
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