2014.8.22 |
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対面同席五百生 |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
ある講演会場に、三年前に夫を亡くし、いまも泣いているという五十代の女性がいました。
この女性は、亡くなった夫をとても大事に思ってきたのです。
その思いと、他人との差が大きければ大きいほど、辛さが大きくなるようになっています。
この女性のように「特定の人しか認めない」という考え方だと、宇宙の法則として少ない量の愛情しか流れ込んできません。
「投げた量」が「戻ってくる量」なのです。
人間は、目の前にいる人がすべて大切で、同じ重さを持っています。
講演会場で、見ず知らずの人が隣に座っていたとします。
この人とはきょう、初めて会うと思っているかもしれませんが、実はお互いが生まれる前に、隣り合って座ろうと約束してきました。
お釈迦様の言葉に、「対面同席五百生(たいめんどうせきごひゃくしょう)」というものがあります。
対面し、同席している人は、最低でも五百回、人生を一緒に過ごしているという意味です。
縁のある人は、これまで前世で何百回と一緒に過ごしてきた仲間です。
他人という名の家族であり、家族という名の他人でもあります。
特別な人を特別に思っているあいだは、神様や宇宙は味方につきません。
特定の人でなければいけないと思っている場合を、「我が強い」といいます。
家族や恋人だけが特別という考え方をやめて、目の前の人をすべて同じように見られるようになると、神様や宇宙が味方になり、素晴らしい人がどんどん現れてくれます。
周りに投げかける量が多くなればなるほど、大量のお返しをいただくようになります。
そういう人に、神様や宇宙は無限の支援を与えるようです。
『笑顔で光って輝いて』実業之日本社
最愛の人との別れを惜しむことがいけない、と正観さんは言っているわけではない。
それは例えば、人間は何百回と生まれ変わるという輪廻転生を信じるなら、この現世で出会った特別の存在である最愛の夫や子どもや友人も、何百回と生まれ変わる中のワンシーンにすぎない、ということになる。
来世では、今ご縁のある人たちが、夫や妻や子どもや親戚や、友達や上司や部下になったりと役割を変え、立場を変え、何百回も一緒に過ごすという。
だからこそ、繰り返し会う何人、何十人、何百人の人たちのとの出会いは、奇跡のようなご縁であり、特別なこと。
「対面同席五百生」
誰しも、良くも悪くも、繰り返し会う人はいる。
出会う誰もが特別な人。
どんな些細なご縁も大切にしたい。 |
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