2014.8.19 |
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逆境のときこそ笑顔で頑張る |
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明治学院大学教授、武光誠氏の心に響く言葉より…
ピンチは、その人の本質を浮かび上がらせます。
人間として未熟であり、まだまだ練られていない人は、どれだけ取り繕ってみても馬脚を現してしまうのです。
「剛勇か臆病かは、平時にあっては知る事はできない。まったく別物である」(聞書2−75)
そう葉隠は指摘していますが、奉公は口先でできるものではありません。
誠の心をもって、主君のために全力で働く。
それこそが本来の奉公。
ちょっとしたことで気持ちがゆらいでしまうなら、口だけに過ぎなかったということです。
人は逆境にあるとき、自分に押し寄せる荒波に押されて、気も弱くなってしまいがちです。
しかし、忘れていけないのは、そんな時であるからこそ、見る人は見ているということです。
葉隠にはこうあります。
「成富兵庫など七度浪人したということである。
起き上がり人形のように思わなければならない。
主人も試すつもりで浪人を言いつけることがあるだろう」
成富兵庫とは佐賀鍋島藩の家老であり、加藤清正が一万石で召し抱えようとしたほどの人材です。
その成富兵庫にして、七度浪人した。
というよりも、浪人したからこそ、それだけの力を身につけたということなのかもしれません。
人事には当然ながら意図があります。
成長する部署につくものがあれば、反対に立て直しを図るための人事もあります。
本人にとっては、不本意に思えることもあるかもしれません。
しかし、そんな時だからこそ、見る人は見ています。
「やはり、そこまでの人材だったか」
「なかなかやる。見直した」
どちらの感想を持たれるかは、その人の心がけ次第です。
調子のいい時は、誰でも頑張ることはできるのです。
逆境のときであるからこそ、笑顔で頑張る。
その姿が人の心を動かすのです。
『「葉隠」に学ぶ誇り高い生き方』成美堂出版
逆境や不遇のときにこそ、その人が人物であるかどうかが試される。
くさったり、愚痴をいったり、不平不満をこぼしたり、人のせいにしたりするのか。
なにくそとへこたれずにチャレンジするのか、不機嫌にならず上機嫌でいられるのか、もっと言うならその不遇に対して感謝できるのか。
うまくいっている「遇」のときも、そうでない「不遇」のときも、見る人はほんとうによく見ている。
遇のときは、有頂天にならず、威張らず、驕(おご)らず、慢心せず。
不遇のときは、必要以上に落胆せず、へこたれず、くさらず。
「やはりそこまでの人材だったのか」と言われるか、「なかなかやる。見直した」と言われるか。
逆境のときこそ、笑顔で頑張る人でありたい。 |
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