2014.8.17 |
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すべて人からしっかり見られている |
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池波正太郎氏の心に響く言葉より…
こんなはなしが、むかしの本に出ている。
北条氏政が父・氏康の後をつぎ、小田原城主となってからのことだが、或夜、重臣たちもまじえた宴席で、
「ああ…」
突然、隠居の身となった北条氏康が箸をおいて嘆息をもらし、
「北条の家も、わし一人で終わってしまうのか…」
とつぶやいた。
父のすぐ前で、これも飯を食べていた氏政がおどろき、
「父上。何をおおせられますのか?」
「何でもない。おぬしがことじゃ」
「え……!?」
「いま、おぬしが食べているのを見ると、一ぜんのめしに汁を二度もかけている。
人たるものは一日に二度、めしをくらうゆえ、ばかものでないかぎり、食事の修練をつむが当然じゃ。
しかるに、おぬしは一ぜんの飯にかける汁の量もまだわきまえてはおらぬのか。
一度かけて足らぬからというて、また汁をかける。
まことにおろかじゃ。
朝夕にすることさえ忖度(そんたく)出来ぬのでは、ひと皮へだてた人の肚の内を知ることなど、とてもかなわぬ。
人の心がわからなんだら、よき家来も従わず、まして敵に勝てよう筈もない。
なればこそ、北条の家も、わしの代で終わると申したのじゃ」
“忍者群像”
『おもしろくて、ありがたい』PHP文庫
「一葉(いちよう)落ちて天下の秋を知る」(淮南子・えなんじ)
一枚の葉が落ちるのを見て秋の訪れを知るように、わずかな前兆から、将来起こるであろう一大事を察知することをいう。
経験豊かな先達は、他人のわずかなしぐさや言動からその人の実力をはかることができる。
これは一般の我われにおいても同じで、ある人のちょっとした言動や行動から、この人は信用に足る人物か、長く付き合える人間であるかをおしはかることができる。
約束を守る人であるか、嘘がないか、挨拶や返事やお礼はあるか、姿勢はしっかりしているか、後始末をする人か、責任逃れをしない人か、誠実さがあるか、感謝があるかというような項目だ。
日ごろの立ち居振る舞いは、すべて人からしっかり見られている。
すべての言動や行動は人から見られている、という気持ちで日々を過ごしたい。 |
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