2014.8.12 |
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生きてるだけでエリート |
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筑波大学名誉教授、村上和雄氏の心に響く言葉より…
学校名や会社名にはじまって、成績、器量、性格、貯金、つきあった異性の数、着ている服のブランドなど、とかく人は、他人と比較しがちです。
その結果を正しい努力に振り向けることができれば問題ないでしょうが、「だから俺はダメだ」、「だから私は不幸だ」と、自分に限界を設け、卑下するだけで終わってしまうことが往々にして見られます。
人と比較したら、差が出てくるのは当然です。
勉強が得意な人、そうでない人、100メートルを走らせたら速い人、遅い人、身長の高い人、低い人、異性にもてる人、もてない人…。
それは現実として受け入れるしかないことで、比較することに意味はありません。
進化や遺伝子というレベルで考えれば、38億年という気が遠くなるような長い時間をかけて進化を遂げてきたのは、他人と比較するためではありません。
しかも、あなたと誰かとの違いは、ゲノム的に見れば、たった0.5%程度です。
99.5%は同じ遺伝子を持っています。
そのわずかな違いを比較して、ああだ、こうだと気に病んだり、一喜一憂したりするのではなく、この世に生まれてきたこと、そして生かされているということがどれほどありがたく、奇跡的なことなのか、そのことに感謝して、元気に、明るく、前向きに生きていくべきです。
すると、自分にはやるべきことがあるのではないかという使命感のようなものが生まれてきます。
しかも、人と比較して、いい、悪いという判断の基準になるものは、現在の価値観です。
いまの価値観だけで判断しても、次の時代には、それが反対になっていたり、無効になっていることが大いに考えられます。
地球や生命の長い歴史から見れば、そうした比較自体にはさほど意味はありません。
私たちは、もう少し長い目でものごとを見る癖をつけたほうがいいと思います。
これは北里大学の教授に聞いたことですが、東日本大震災の直後の大混乱の中でリーダーシップを発揮してがんばったのは、日ごろは悪ガキのような、それほど成績のよくない学生だったといいます。
非常事態が起きたとき、偏差秀才はあまり役に立ちません。
マニュアルがないと、彼らは何もできないからです。
逆境の中でがんばれるのは、むしろおちこぼれ気味のような人たちなのです。
秀才タイプは正常時には優秀かもしれませんが、不測の事態が生じたときには対処できません。
おごってはいけませんが、38億年という長い進化の果てに存在しているということは、それだけでエリート中のエリートなのだといえます。
それぞれの人が、それぞれの人生における金メダル候補です。
ですから、人と比較するよりも、自分が何をできるか考えたほうがいいのです。
人と違っていていいのです。
むしろ、遺伝子的には、少しくらい違っていたほうがいい。
その違いによって生物は多様性を確保し、それによって進化が促されてきたのですから。
人と違うことで悩む必要はありません。
『望みはかなう きっとよくなる』海竜社
38億年の長い進化の果てに、我々が生を受け、今ここに存在しているということは奇跡にも近いこと。
ありえないような奇跡の確率で我々は生まれてきた。
さんまさんの名言に、「生きてるだけで丸儲け」がある。
生きてるということだけで、我々は選ばれたエリート。
だからこそ、今ある当たり前の日常に感謝することが必要だ。
嫉妬やねたみ、不平不満、あるいは逆に、優越感や威張ることは、他人との比較から生まれる。
比較からは感謝は生まれない。
今あるあたりまえの日常を感謝の気持ちで過ごしたい。 |
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