2014.8.3 |
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打出の小槌 |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
相談に来られた方がいます。
それは二人の女性で、奥さんとそのお母様ということでした。
お母様は70歳を過ぎてもしっかりしている。
目が見える、自分の足で歩ける、という健康体です。
しかも、二人の子供は、それぞれ元気で大学へ通っていて、優秀で奨学金をもらっている特待生とのこと。
というふうに、一つひとつ挙げていったら、実はものすごく恵まれていました。
そして、夫は植物状態になった時、死んではいないのに、保険金が満額おりた、というお話でした。
だからそれによって2年間、奥さんはどこにも勤めることなく、生活費も医療費もすべてまかなえている、とのことでした。
ただ未来が見えてこないので、「つらくてしょうがない」と言っているのです。
でも、今のような見方をしたら、ものすごく恵まれていように見えませんか?
その恵まれていることに目を向けないで、つらい、悲しいほうへばかり目がいって、それについて「つらい、悲しい」と言いつづけた結果、楽しいことがひとつもなかったのです。
さらに、私はもうひとつこんな話を聞きました。
このご主人に、毎日のようにお見舞いに行っているそうですが、
「早く目覚めて。早く私たちのこのひどい状態をなんとかして。あなたが私たちのために働いてくれないと、私たちはどうにもならない」
と2年間ずっと言いつづけてきたそうです。
私がもし寝たきりの夫であったならば、仮に意識が戻っていたとしても、目を覚まさないと思います。
だってそうやって愚痴や泣き言、早く私たちを楽にしてよ、困ったことがたくさんあって…ということばばかり聞かされていたら、楽しいわけはないし、体じゅうの細胞や脳神経だって、活性化しません。
そうではなく、たとえば
「3月になって、梅がすごくきれいに咲いてますよ。4月になったら、桜が咲きましたよ。今年は特にきれいですよ。5月はツツジ、6月は花菖蒲、7月はユリ…。
そしてだんだんと木々の葉っぱが色づく季節になりました。こんな楽しいことがあって、きれいな景色があって…」
ということを、話して聞かせてあげたらどうですか。
私がもし植物状態になっている人を目覚めさせたかったら、食べ物の話をするかもしれません。
「7月はモモがおいしい、8月はスイカ、9月は梨、10月は柿、11月はリンゴ、12月はミカン…」
人間の意識というものは、細胞の中に包まれています。
ですから、細胞(容れ物)がちゃんとしてくると、魂もちゃんとしてピュアになってくる可能性がある。
愚痴や泣き言を2年間も浴びせ続けてるのと、「すごく楽しくて幸せ。こんなおいしいものがあったよ。こんな美しい景色があったよ」と聞かせつづけるのとでは、体と魂に与える影響は雲泥の差があります。
相談に来られた二人は、
「この2年間、どこかへ出かけようとか、何かおもしろいものを見に行こうかという気になったことはありませんでした。
でも、正観さんの話を聞いて、帰りがけに博物館があったので、1時間ほど見学してきました」
そして、手にはお土産を持っていて、「今日はとても楽しくて、よかったです」と言っていたということでした。
「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」
という聖書の一説は、
「発した言葉によって、またそれを言いたくなるような現象が降ってくる」
という宇宙の法則だったということが、このレポートによって実証されました。
実は私たちの発する言葉は「打出(うちで)の小槌(こづち)」だったのです。
おとぎ話の中にでてくる打出の小槌は、ほとんどの人は「そんなものあるわけない」と言うと思います。
私もずっとそう思っていました。
しかし、本当にあるということが、わかってしまいました。
「こうすると、こうなる」という宇宙方程式であり、自分の発する言葉によって、自分に降ってくる現象を作っていることがわかったら、打出の小槌を持っているようなものではないでしょうか。
私たちは宇宙の「打出の小槌」を使いこなせるのです。
『究極の損得勘定 2』宝来社
他人から非難されることが多い人は、普段から人を非難している。
うまくいかないことの多い人は、普段から愚痴や泣き言、不平不満を言っている。
許せないことの多い人は、普段から人を許さない。
つまり、トラブルの多い人は、自らトラブルのタネをまいている。
うまくいかないことが多いから、愚痴や泣き言、不平不満が多いのではない。
我々の発する言葉は「打出の小槌」のようなもの。
「初めに言葉ありき」
いい言葉を発すれば、いいことが起きる。 |
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