2014.7.7 |
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一刹那正念場 |
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藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
『一刹那正念場』
一刹那(いちせつな)とは一瞬ということである。
正念場(しょうねんば)は歌舞伎からきた言葉。
一曲・一場の最も重要なところ、ここぞという大事な場面を指す。
一瞬一瞬を人生の最も大事なところ、人生の勝負どころ、本番と捉えて真剣に生きよ、と教えている言葉が一刹那正念場である。
人生は山登りに譬(たと)えらえる。
山登りには登る人と下りる人がいる。
それは年齢ではない。
「90%の人は山を下りている。90%の人は力を出し切っていないからだ。人生の山を登っている人は10%」と言うのは人材教育家の井垣利英さん。
なるほど、と思う。
そういえば明治期のリーダーたちは、「自分が一日怠ければ、日本の進歩が一日遅れる」という気概を持って生きていた。
当時の日本には山を登っている人が多かった、ということである。
だから日本は日清・日露の戦いに勝利し、世界に伍していくことができたのだといえる。
井垣さんはこうも言う。
「1時間は1分が60回。1日は1時間が24回。ひと月は1日が30回。1年はひと月が12回。10年は1年が10回」。
10年後どんな自分になっているか。
何となくいまよりもよくなっている、と思っている人が多い。
しかし、いまの生き方がそのまま10年後のその人の生き方であり、年を取った分だけ人生は下り坂になっている。
そうならないためには、いま目の前にあることに全力を尽くすこと、その姿勢を習慣にすること…井垣さんの言葉は一刹那正念場に生きる大事さを説いてあまりある。
画壇(がだん)の孤峰(こほう)・中川一政さんが97歳の時に揮毫(きごう)した「正念場」の書がある。
初めてその書を見た時の畏怖に近い感動を忘れることができない。
この人は97歳にしてなお正念場の日々を生きようとしているのか。
97歳になってこれからが本当の人生の正念場だと思っているのか。
求道一筋に生きんとする人の気迫が、書には溢(あふ)れていた。
中川さんが残された極めつけの言葉を2つ。
「稽古(けいこ)をしてはならぬ。いつも真剣勝負をしなければならぬ」
「一つ山を登れば、彼方にまた大きな山が控えている。それをまた登ろうとする。力つきるまで」
すべての道に生きる者に不可欠の覚悟というべきだろう。
『月刊致知 2104年8月号』致知出版社
松下幸之助氏はこう語った。
「人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。
けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである」
大事なことは、人との比較ではなく、自分自身が毎日少しずつでも、どれだけ進歩したか、学んだか。
今日、このただ今を怠惰に生きる人は、1年後の今日も同じように怠惰に生きる。
「一刹那正念場」
本日ただ今、この一瞬を真剣に生きてゆきたい。 |
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