2014.6.19 |
|
ビデオレター |
|
|
曹洞宗長寿院住職、篠原鋭一氏の心に響く言葉より…
県立M高等学校の卒業式が近付いたある日、ビデオカメラを手にした男子生徒二人がやってきて告げた。
「うちの高校では、毎年卒業生にビデオレターを観てもらうことになっています。三年間、お世話になった方や思い出に残っている人から三分間ほどのメッセージをもらって、卒業生全員で観るのです。今年は、三年間講演してくださった住職さんがノミネートされましたので、撮影させてください」
笑いながら答える。
「ノミネートとは大げさだなあ。つまり“送る言葉”だよね。身に余る光栄!喜んでお受けいたします」
私は三つのメッセージを語った。
「もう一度伝えておきます!人生はたった一度きり。それも片道切符の旅です。ならば各駅停車で行こう。特急に乗ったら通り過ぎてしまう風景を、しっかり見ておきましょう。各駅停車の人生だからこそ身につくのです!」
「人生の主人公は自分です。“オシッコがしたくなった。でも、今、忙しいから誰か代わりに行って!”これはできない。人生も同じです。人生は自分が主人公となって生きていくものなのです。他人に代わってもらえません」
「人生は一人で生きられません。自分の力で生きていると思ったら大間違い。多くの人や物にささえられ助けられての人生です。迷惑をかけてもいい。そのかわり、他人からかけられる迷惑も喜んでいただくのです。他人とくらべることはない。堂々と自分の道を歩んで自分の花を咲かせてください!」
私以外にも十人のビデオメッセージがあったと後日、報告される。
卒業生が二年生の時、他校へ転勤された生物の教師O先生の登場には拍手が起こった。
O先生は、
「何度も教えたよね。一組の両親から生まれる子どもには、約七十兆通りの組み合わせがあって、二つと同じものがないということ。忘れるなよ。君たち一人ひとりは、七十兆分の一の確率で選ばれて、この世に生まれて来たんだ。これってすごいことだよ。こんなすごい生命を大切にするんだぞ!」
そして最後のメッセージになった時、映し出された人物を観て、全員が絶句した。
いや、誰も、“なぜ?”と思った。
実は、スクリーンから笑顔いっぱいに語りかけてきたのは、高校三年になったばかりでこの世を去った同窓生のA君だったからである。
「みんな、卒業おめでとう。ボクも一緒に卒業式に出たかったけど、みんなが知ってる通り、脳腫瘍が悪性でさあ、あんまり長く生きられないんだ。
だからビデオレターで卒業式に出させて欲しいって、制作委員に頼んでおいたのさ。
絶対秘密でね。
今日が本邦初公開!
みんな、高校生活楽しかったね。
校門からの坂道の桜の咲く頃までは生きて、桜吹雪の中でみんなと弁当食べたかったなあ…。
ああ、いけない!
卒業式だもんね。
明るくやらなくっちゃ!
ボク、すごく楽しい高校生活が送れて幸せだった。
十分、人生生き切ったと思うよ。
みんな、“生まれてきてよかった”“生きるってこんなに楽しい”と実感できるような人生をつくってね。
またどこかで会おうね。
ボク、ちょっとだけ先に行くよ!
みんな、ありがとう!」
誰もが泣いている。
先生方も必死で涙をこらえておられる。
その時、女子生徒のE子さんが立ち上がり、大粒の涙を落としながら叫んだ。
「A君、私、生きていくことに決めた。今、死にたいぐらい苦しいけど、A君の言葉を聞いて、私決めた。私、死なない!生きていく!A君、誓うよ!私、生きていくからね!A君、ありがとう!」
突然、大きな拍手が起こった。
その場に泣き崩れた彼女に向かって全員が精一杯の拍手を送っている。
彼女の三年間が、ひきこもりと短期登校の繰り返しであり、一番苦しんでいたのはE子さんであることを知っているからだ。
仲間たちのエールを込めた温かい拍手はいつまでも続いた。
『みんなに読んでほしい 本当の話 第3集』興山舎
『あなたが虚しく過ごしたきょうという日は
きのう死んでいったものが
あれほど生きたいと願ったあした』 (カシコギ)
人は生まれたら必ず死ぬ。
そんなことは誰もが知っていることなのに、すぐに忘れてしまう。
もし、明日死ぬとわかったら、今のあたりまえの日常が、あたりまえでなかったことに気づく。
食事ができること、空気を吸えること、歩けること、景色が見えること…
すべてが、愛(いと)おしく、切なく、ありがたい、と気づく。
この一瞬一瞬を、大事に大事に生きていきたい。 |
|