2014.6.15 |
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だから日本は世界から尊敬される |
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駐日外交団長、サンマリノ共和国特命全権大使、マンリオ・カデロ氏の心に響く言葉より…
私は敬虔なローマンカトリックの信者です。
それでも神道の素晴らしさはわかります。
神道は自然を神と崇めて大事にしつつも、他の宗教に対しても寛容であるので、広い視野で物事を捉えることができる宗教だと思います。
実はカトリックと靖国神社は深い因縁があるのです。
第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)内には、靖国神社を軍国主義の象徴と見なし、焼き払った上に跡地をドッグレース場にしようとした動きがあったそうです。
これには賛否両論があり、マッカーサー司令官も答えを出せずにいたようです。
そこで、司令官は当時、ローマ教皇庁(ヴァチカン)の臨時駐日代表ブルーノ・ヴィッテル神父に意見を求めました。
するとヴィッテル神父は、
「いかなる国も、その国に殉じた兵士に対して、敬意を表す権利と義務があり、それは戦勝国、敗戦国問わず平等である。
もし、アメリカ陸軍が靖国神社を焼却したならば、米陸軍の歴史に永久に消すことのできない汚点を刻むことになるだろう」
と進言し、司令官は靖国神社焼却中止命令を出したそうです。
アメリカン・カトリック教会のメリノール宣教会のパトリック・バーン神父も、戦後の靖国神社存続に尽力(じんりょく)しました。
彼の手紙には次のような一文があったそうです。
「国家神道は愛国心の表明以上の何者でもない。
それはプロテスタントとカトリック、ユダヤの教徒がアーリントンの無名戦士の墓で花輪を供えるようなものだ」
このような経緯があったことを考えると、クリスチャンである私たちヨーロッパ人がサンマリノに神社本庁公認の神社を建立できることは本当に感慨深いものがあります。
私は、各国の大使を前に、靖国神社の本来の意味についてレクチャーしたこともあります。
また靖国神社においても神道の素晴らしさをスピーチしたこともあります。
靖国神社のことは、国際的にも凄くナーバスなことになっていますが、私が思うに、靖国神社のことについて、特に中国や韓国はとても大きな誤解をしているのではないでしょうか。
靖国神社は145年前にできた神社です。
第二次世界大戦のずっと前です。
靖国神社のような、国を守るために亡くなった軍人を慰霊するメモリアルなお祈りの場所は、世界中どこにでもあります。
イタリアには、ローマにヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂がありますし、アメリカにはワシントンDC近郊にあります。
ドイツにも、フランスにもあります。
それが、日本ではたまたま靖国神社なのです。
だから、一部の国が言っている、
「靖国神社には日本の戦争犯罪人も祀られている」
と一方的に非難するのは、ナンセンスなことだと私は思います。
ビィッテル神父やバーン神父の考え方をぜひ知ってほしいと思います。
戦争の時は、平時の基準で考えたら誰もが犯罪人です。
だから、戦争には勝者はいないのです。
勝者も敗者も、戦争の犠牲者なのです。
昔のことを蒸し返すだけでは意味がありません。
また、日本政府も、戦争当時のことをもっとしっかりと説明するべきです。
靖国神社は、戦犯だけを祀っているのではありません。
「靖国で会おう」と言い合って、若者たちがお国のために命をなげうちました。
もちろん、日本という国家を守るためですが、本当のところは愛する家族たちを守るためだったのではないでしょうか。
靖国神社はそんな彼らの霊を慰めるところです。
またこうした過ちが繰り返されることがないように祈っているということを、世界に向かってしっかりと言うべきだと私は思います。
『だから日本は世界から尊敬される』小学館
本書の巻頭にはこう記されている。
『駐日大使の代表「外交団長」である著者は、日本人以上に日本への造詣が深い。
敬虔なクリスチャンでありながら、神道に傾倒し、母国にヨーロッパ初の神社本庁公認神社が建立されたことを「光栄なこと」と喜ぶ。
世間で蔓延(はびこ)る「靖国」への誤解を解くよう力説。
何度も拝謁、ご陪食賜(ばいしょくたまわ)った天皇皇后両陛下を心から尊敬し、陛下の大御心にも言及する。
日本人が忘れかけている、世界が憧憬(どうけい)の眼差しを向ける日本の文化を外国人の目からも分析、もっと自信を持つように提言する」
サンマリノ共和国は人口わずか3万人ほどの世界で5番目に小さな国で、イタリア半島に位置する。
著者のマンリオ氏は、幼い頃から日本に興味をもち、学生時代には柔道を学び、日本に居を移して40年近く経った。
そして、現在は駐日大使全153ヶ国を代表する「駐日外交団長」として、各国と日本の友好親善のために尽くしている。
我々はもっともっと日本の歴史を学び、伝統や文化を大事にしなければならない。
そして、学べば学ぶほど、あまりにも日本のことを知らないことに愕然(がくぜん)とする。
外国の方からそういった指摘を受けるたびに、なおさらそれが身に染みる。
日本の文化と精神性を学び、もっと自信を持ちたい。 |
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