2014.6.12 |
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手を合わせる |
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志賀内泰弘氏の心に響く言葉より…
仏教ではお参りをするとき、両手を胸の前で合わせます。
日本人はよく「無宗教だ」と言われますが、信仰とは関係なくても、神社・仏閣を訪ねると自然と合掌します。
合掌は、もともとインドに起源があるそうですが、キリスト教でも胸の前で両手を組んでお祈りします。
その意味については諸説ありますが、共通しているのは、手を合わせること自体に精神を鎮める効果がある、とされていることです。
さて、ネガティブな思いが心の中に広がってしまう要因とはなんでしょうか。
もっとも大きなもののひとつが、不平不満です。
「何で、私ばかりが損な役回りをさせられるんだろう」
「あいつの家は金持ちでいいなあ」
「オレだけが悪いんじゃないのに、また課長に怒られた」…。
いわゆる愚痴ですね。
ものごとがうまく運ばないと、どうしても人のせいにしたくなります。
「ツイてないなあ」と、「不運」のせいにしようとします。
でも、愚痴を言っても解決しません。
かえって、「不運」のスパイラルに陥ってしまうだけです。
心がネガティブになったとき、そっと両手を合わせてみましょう。
そして、「ありがとう」と、すべてのことに感謝するのです。
「すべてのこと」とは何か。
家族が健康でいること。
お金のもらえる仕事があること。
住む家があること。
もっと次元を下げてみましょう。
目が見えること。
耳が聞こえること。
ものが食べられること。
2本の足で歩けること。
一見、当たり前と思えることに感謝するだけで、心が安らぎます。
「私はこんなに幸せだったことを忘れていた」と。
合掌すると、難しい理屈は抜きにして、不思議と心が落ち着きます。
『ポジティブ練習帳』同文館出版
仏教では、右手を自分とすると左手が仏様ということで、手を合わせることによって、仏様と自分が一体になるということ。
また、食事の前に手を合わせるのは、食べ物の命と自分の命がひとつになることだという。
他人に向かって合掌することは、本来は、深い尊敬の念を表すためにすること。
「手を合わすれば
憎む心もとけてゆき
離れた心も結ばれる
まるいおむすび
まるいもち
両手合わせて作ったものは
人の心をまるくする
両手合わせて拝んでゆこう」
『坂村真民一日一言』より
「ありがとう」の言葉とともに、手を合わせたい。 |
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