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2014.5.29

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ


小林正観さんの心に響く言葉より…

ある人が、水泳教室に行ったときのこと。

最初に、鼻をつまんで潜る練習を何回かやった後、「では、浮いてみましょう」ということになりました。

体を水面に横たえて「浮く」努力をしましたが、浮こうとして(「沈みたくない」と思って)力を入れたら、ブクブクと沈んでしまいました。

「先生、どうしても浮くことができません」と言うと、その先生は「そうですか。浮かべませんか。では、今度は沈んでみてください」と言いました。

怪訝に思いながらも、鼻をつまみながら「沈んでみよう」と思ったところ、今度は沈むことができません。

「もう、体を沈めてかまわない」と思った瞬間、余分な力が抜けて、体が自然に「浮いてしまった」のです。

つまり、「浮きたい」と思って力が入っているときは浮かなくて、「沈んでしまってかまわない」と全身の力を抜いているときは、逆に沈むことができなくて浮いてしまった、ということのようです。

この事実は、大変面白いことを意味しています。

人間の潜在能力や超能力は、「こうでなければ嫌だ」とか、「こうならなければダメだ」と思った瞬間に出てこなくなり(脳波がβ波になるためです)、逆に、「そうならなくてもいい、でも、そうなるといいなあ。でもならなくてもかまわない」というように考えると、潜在能力が花開き、宇宙がそのように動くようです。

念ずる方法というのは、基本的に、まず「0(ゼロ)ライン=そうならなくてもいい」というものです。

「そうならなくてもいい」「そうならないのが当たり前」という基本を押さえたうえで、さらに、「そうなったら嬉しい、幸せだ。けれど、そうならなくてもいい、それが当たり前。でもそうなるといいな。でも、そうでなくてもいい…」というのが、潜在能力や超能力を引き出す「キーワード」らしいのです。

水泳で言うなら、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということです。

泳げない人が溺れかかったとき、「溺れたくない、泳ぎたい」と思っているときは、なかなか浮かばないが、そこで全身の力を抜き「もう好きにしてくれ」と、流れに身を任せた瞬間、浮かぶこともある、というのが、この諺の意味ですが、それは水泳にかぎらず、この世のすべてについて言えることらしいのです。

人間は、ものにこだわっているとき(「こうでなければならない」と思っているとき)は、現実処理の脳波であるβ波しか出てきません。

それが、とらわれなくなり、心穏やかで、満ち足りて幸せなとき、特に感謝をしているときは、α波やθ波が出てきます。

このα波やθ波のレベルは、超能力を目覚めさせ、潜在能力を呼び起こし、ひいては宇宙の構造を自分の味方にすることができるらしいのです。

何かを「こうでなければならない」、「こうせねばならない」と思っているうちは、なかなかその現象は、自分の思うようには変わっていきません。

「そうでなくてもいいけれども、そうなってくれたら嬉しい。でも、そうならなくてもいいけれど…」という考え方が、どうやら、潜在能力や超能力を引き出す大きなポイントとなっているようです。

『神さまに好かれる話』五月書房


超能力者というと、いかにも胡散臭(うさんくさ)いが、そうではなくて、超一流の経営者や芸術家あるいはスポーツマンは、ある意味でいうとみな超能力者だ、いう話を聞いたことがある。

なるほど、何度も何度も困難や失敗を乗り越え、幾多の競争相手の中から、特に選ばれた、先を読むことができる人たち、ということだからだろう。

また、生死をかけたような非常のときには、そんな超一流の人ではないごく普通の人が、超能力とでも言わなけれならないような想像を絶する力を発揮することがある。

「こうでなければ嫌だ」と思ったときには謙虚さがなくなり、物事は成就しない。

謙虚さがなくなれば、神さまには好かれない。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

感謝の気持ちで、謙虚に生きたい。


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