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2014.5.17

与えられた運命を


松下幸之助氏の心に響く言葉より…

人生というものは、そのほとんどの部分がいわゆる運命というものによって決められているのではないか。

自分のこれまでの歩みをふり返ってみるとき、どうもそんな気がしてなりません。

たとえば、なぜ自分は電気器具の製造販売という仕事を始めたのか、そして幸いにもこの道である程度成功し今日の姿を築くことができたのか、ということを一つ考えてみても、どうもそうなるようになっていた、そういう運命が与えられていた、という以外に説明がつかないように思うのです。

というのは、世の中には、すぐれた人がたくさんいます。

体が丈夫、高い学問がある、素質、才能に恵まれている等々、そのどれ一つとっても、 私はずっと下の方だと思います。

にもかかわらず、今日多少なりとも事業において成功している面があるとすれば、それはそうなることが運命として与えられていたと考えざるを得ません。

自分なりにその時々で一生懸命であったことは事実ですが、それが、人並み以上の勉強であったり特別の努力であったとは、とても思えないのです。

しかし、そうはいっても、今思えばこういうことは言えるのかもしれません。

それは、運命というものを自分なりに、あるいは自然のうちに前向きに生かそうとしてきたということです。

家が貧しかったために、丁稚(でっち)奉公に出されたけれど、そのおかげで幼いうちから商人としてのしつけを受け、世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。

生来体が弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。

学歴がなかったので、常に人に教えを請うことができた。

あるいは何度かの九死に一生を得た経験を通じて、自分の強運を信じることができた。

こういうように、自分に与えられた運命をいわば積極的に受けとめ、それを知らず識らず前向きに生かしてきたからこそ、そこに一つの道がひらけてきたとも考えられます。

いうまでもなく、運命というものは、人間の意志や力を超えたものです。

私たちが、人間に生まれたこと自体、自分の意志でそうなったのではありませんし、男に生まれるか、女に生まれるか、また日本人に生まれるか、 外国人に生まれるかといったことも、選べることではありません。

あるいは、どういう天分、素質をもって生まれるかといったことについても、いわば天命によって決まっており、自分ではどうすることもできません。

しかし、それでは、運命として与えられてたものについては、すべて人間の力ではどうにもならないのかといえば、必ずしもそうではないと思います。

そこが運命の実に不思議なところというか妙味のあるところだと思いますが、自らの意識や行動のいかんによっては、与えられた運命の現われ方が異なってくる。

つまり、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、お互いの生き方次第で、自分に与えられた運命をより生かし、活用できる余地が残されているとも考えられます。

それは寿命とか、 素質、才能など、人生の万般にあてはまることだと思いますが、私のこれまでの生き方も、知らず識らずのうちに、ある程度自分に与えられた運命を生かすものであった、とは言えるような気がするのです。

では、その人間に残された余地とはどれくらいなのでしょうか。

これを数字で表わすことが適当かどうか分かりませんが、これまでの人間のさまざまな姿から私なりに察知すると、10パーセントから20パーセントぐらいはあるように思います。

つまり、この10パーセントなり20パーセントの人事の尽くし方いかんによって、自らの80パーセントなり90パーセントの運命がどれだけ光彩を放つものになるか決まってくるということです。

とすれば、お互いにとって大事なのは、その10パーセントなり20パーセントなりの範囲においてせいいっぱいの人事を尽くすということだと思 います。

自分の人生にはどうにもならない面があるけれども、その範囲において、こうだという信念をもって、自分自身の道を力強く歩むよう努めていく。

そうすれば、たとえ大きな成功を収めても有頂天にはならないし、失敗しても失望落胆しない。

あくまで坦々(たんたん)とした大道を行くがごとく、処世の道を歩んでいくことができるのではないかと思うのです。

『人生心得帖/社員心得帖』PHPビジネス新書


「一所懸命」とは、ひとつところに命を懸ける、ということ。

一生懸命ではない。

与えられた場所、与えられた運命に、文句を言わず懸命になること、人事を尽くすことだ。

与えらえた運命といっても、すべて決まっているわけではなく、そこには、10%なり20%なりの自分の努力の余地が残されている。

逆に決まった運命などなく、自分の意志や努力でおのれの運命は100%変えられると思うなら、それは不遜で傲慢となり、運の女神からは見放される。

運命を謙虚に受け入れることができる人は、そこに感謝がある。

松下幸之助翁のように、「あの病気があったおかげで」「貧乏だったおかげで」「学歴がなかったおかげで」、と。

たとえ、そこが荒野であろうと道端であろうと、放り投げられたところで泣き言や文句を言わず、淡々と咲く花は強く美しい。

与えられた運命を…

一所懸命に生きる人でありたい。


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