2014.5.8 |
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5%の人になろう |
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清水克衛氏の心に響く言葉より…
私たちが生活していく中で、考え方や行動のモノサシになっているものがあります。
それは“常識”です。
常識とは、社会の構成員が当たり前のこととしてもっている、価値観、知識、判断力などのことを言います。
この常識が欠如している人は、社会から不適格者と見られ、時には罰せられたりもします。
常識とは、社会が円滑に営まれていくために、なくてはならないものです。
しかしこの常識は、時と場所によって変わります。
常識とは、その社会の中の大多数の人々の考え方です。
いわば大衆の意識です。
この大衆をどう定義するかはさまざまですが、一般的には全体の95%を占めるのが大衆と言われています。
この大衆の考え方が常識になるわけですから、それに従っていれば問題なさそうですが、じつはこの大衆の意識は、時に大きく間違います。
そのいちばんいい例は投資です。
投資の基本はリスクを伴うということ。
そして、上がったものは必ず下がるということです。
とてもシンプルでわかりやすいですね。
だから、誰かが得をすれば、その分、必ず損をする人がいるのです。
なのに操られた大衆は、「自分だけは大丈夫だ」と思わされてしまうのです。
こうして人生を狂わされる人たちは、いまだに後を絶ちません。
資本主義の歴史は“暴落の歴史”でもあるのです。
日本でも今から20年くらい前にバブルの崩壊がありました。
このときの日本の大衆は、株や土地、ゴルフ会員権などの投資に熱狂していました。
誰もが永遠に続く右肩上がりを信じて疑わなかったのです。
その結果、バブルは崩壊し、平均的に株式は50%、土地は40%下落、ゴルフの会員権の中にはまさに“紙切れ同然”にまで値下がりするものもありました。
そして日本からは1100兆円以上の資産が消えてなくなりました。
また近年の、アメリカのサブプライムローン問題に端を発した世界同時不況も、もとはアメリカの不動産バブルがきっかけでした。
どうしてこうも、同じ過ちを繰り返してしまうのか?
そこが、大衆の意識の恐ろしさなのです。
これに対して、大衆の意識に左右されない人たちがいます。
大衆という95%の意見に左右されなかった、「5%の人」たちです。
この人たちは、大衆に影響されることはありません。
だから思考の自動化など、操られたり、洗脳されたりすることもないのです。
エジソンやマザーテレサ、坂本龍馬や松下幸之助など、後の世に名前を残したような人たちや、大きな仕事を成し遂げたり、偉業を達成するような人は皆そうです。
まわりに「そんなことできるわけがない」と言われても決して左右されず、最後まで自分の信じた道を貫くことができる。
それが「5%の人」たちです。
大衆から見た成功の尺度は、地位や、名誉、金銭的価値で計られるものですが、私が言いたいのは、成功者ではなく、“成幸者(せいこうしゃ)”になることです。
この成幸者の特徴は、魅力的で大衆の意見に左右されない人。
さらには人を喜ばせることが大好きで、それを自分の喜びに変えられる、人間力がみなぎっている人だと思います。
反対に、一見成功者に見えますが、私から見たらとても残念に思える人たちもいます。
その人たちの特徴は“我”が強いということです。
それと、こういう人たちは、人によって態度を変えます。
『5%の人 時代を変えていく、とっておきの人間力』サンマーク出版
多くの人は子供の頃から、「皆がやっているから」、「皆はどうしているの」と言われ続けてきた。
そして、「皆と一緒」であることがあたかも、安心、安全であるかのように意識づけられてきた。
その逆に、人と違う道を往くことを恐れない人、人から「絶対に無理」と言われてもチャレンジし続け成功する人もいる。
そういう人は、全体の中のわずか5%だと言われる。
これは何も事業の成功の話でだけではない。
たとえば就職で、今皆が行きたがる人気の会社が、20年後、30年後にまだ安泰である保障はない。
むしろ、皆が見向きもしない不人気の会社や職種に行くという逆の選択もある。
人と違う道を往くことを恐れない人でありたい。 |
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