2014.4.28 |
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誰か喜ぶヤツはいないかな |
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山崎拓巳氏の心に響く言葉より…
誰かの文章を見たとき、「ここは“です”で言い切ったほうがいいんじゃないの」と思ったりした人は、文章の人です。
料理を食べたとき、「わたしだったらここまで火をいれないのに」と思う人は、料理の人です。僕たちは食べても、「そう言われると、そんな気もするな」くらいがせいぜい。わからないのです。
うまい歌を聴いて「めげる」と思った人は、歌い手です。普通は「めっちゃ歌、うまい。すごーい!」と思うことはあっても、めげたりしません。
速く走る人を見て「めげる」人は、走る人なのです。
あなたががっかりする向こう側には、「あなたの得意」がたくさんあるのです。
嫉妬もそうです。「めちゃカワイイ服をあの人、着てる。嫉妬するわ」と思う人は、服の人です。服の人じゃない人は、そんなことには気づきません。「派手ですね〜」で終わりです。
あなたが気になるのは、そこに「自分の得意」が隠れているからなのです。
そんな得意分野は、自分でどんどん掘っていってください。それは、情熱を見つけるチャンスです。
「自分ならこうすると思ってしまう」「めげたり、嫉妬したりする」ことを掘っていくと、本来の自分と出会えます。
一方で、こんな得意もありますね。人と人とを結びつける。ひとの才能を活かす。
世の中で大きな組織をつくっている人は、こういう得意を持っている人たちです。人の才能を活かすハブ的な存在になれる人と言ってもいいでしょう。
パーティでもいますよね。
「山崎さん、ちょっと素敵な方がいるんです。こちらが○○さんと言いまして…」
「○○さん、この方がさっきお話していた山崎さんです」
こんなふうに見知らぬ人同士を引き合わせてくれて、どんどんパーティを盛り上げてくれる人です。
パーティじゃなくても、「今度紹介したい人がいるんです」と必ず言う人がいませんか。
実際、面白い出会いを持ってきてくれたりします。
そうなると、僕も返したくなります。
この人に会ったらいいんじゃないかな、と思う人を紹介したくなる。
実際、引き合わせると、ものすごく気が合って、一緒に大きな仕事をするようになったりしているのです。
自分の感覚だけで物事をいつも見ていると、世の中は狭くなります。
「こんな話があるけど、どう?」と言われたときに、「誰か喜ぶヤツはいないかな」と考える癖を持っていると、世界は広がります。
自分の近くにいる人、自分にとって心地よい人とだけ過ごすのではなく、いろんな人とつながりを持とうとするようになる。
そしてその行動は、まったく違う形で、必ず返ってくるのです。
こんな言葉があるのを知っていますか。
「世の中は、たらいの中の水と一緒だ」
たらいの中の水を、手前からドボンと前に押し出すと、グルンとまわって横から手元に戻ってきます。
前に押し出して、そのまま真っ直ぐ返ってくるのであれば、わかりやすいのですが、そうではない。グルンとまわって返ってくるのです。
何かを与えたら、返ってくることを誰でも期待しますが、わかりやすい形で返ってくるのであれば、誰でも与えようとします。でも、そうではないから、与えることが難しくなる。
しかし、実際には返ってきているのです。グルンとまわって。そこに気づけるかどうかで、人生は変わります。与えられる人になることができるのです。
ただ自分の得意を探すだけではなく、人と人をつなぎ、誰かが誰かを活かすお手伝いをすることにも興味を持ってみてください。
『拓巳流 人生の掟』ヒカルランド
自分の得意技は意外に自分では気づかないことが多い。
「なぜこんな簡単なことがわからないのかな?」、「なぜこんなことをやるのにそんなに時間がかかるの?」、「続けるのがちっとも苦にならない」、「何時間でもそのことに没頭できる」、「このことだったら次々にアイデアがわいてくる」等々のことがあったら、それはその人の得意分野だ。
そして、それらの得意分野は、自分より上手な人がいたりすると、とても気になって、ときには、めげたり嫉妬したりしてしまう。
いつの時代も、自分の得意技を磨き、さらにそれを深めて生きていくしか生き残る道はない。
得意技とともに、さらに必要なのが、人と人をつなぐという「斡旋(あっせん)の才能」。
斡旋の才ある人は、利己的ではできない。
人の利を先に考えるおおらかで、利他の人。
利他の人は、「誰か喜ぶヤツはいないかな」と常に考える人。
自らの得意技を見つけそれを磨き、同時に人と人とをつなぐことのできる利他の人でありたい。 |
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