2014.4.27 |
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感動は心の扉をひらく |
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椋鳩十氏の心に響く言葉より…
しらくもという、頭にできる病気がある。
小さい乾燥したおできでね、小指の先ほどぐらいのおできが頭にいっぱいできる。
そのしらくもというできものを、一年に上がったときから六年を卒業するまでつけっ放しだったんだから、しらくもというあだ名がついたんです。
男の子は、そばへ来ると、移るからあっちへ行けとけとばす。
女の子のそばへ行くと、「しらくもが来たあ。移るう」って逃げちゃう。
そういうことが心にしみ込んでわかったんだね。
われわれのそばへよりつかなくなっちゃった。
どこへ行ったかと言うとね、校庭の脇の方に、アオギリの木が三本ありましたがね、休みの鐘が鳴ると同時に、テクテクテクテク歩いて行って、アオギリの木にもたれかかるんです。
そうしてね、いかにいじめられても、やっぱり遊びたいんですなあ、みんなの遊びを上目使いで、ジリッジリッとこうして見ておる。
子供というのはね、あんがい残酷なんですよ。
勉強も、他の者が迷惑するというので、教室の一番すみに一人だけ並ばせておかれた。
放ったらかしにされたため、学問も六年まで飛び切りのビリだった。
しかし、しらくもは、そのころ上伊那、下伊那を通じて、一、二と言われる、非常に優れた農業の指導者になっていたのです。
どういう考えから、あんな知恵が出るんだろうかというような、非常に斬新なやり方をして人を率いていく農業の指導者になってたんです。
どうにもならなかった一番の劣等児が、人々から尊敬される農業の指導者になっていた。
人間というやつはいつ出てくるかわからん。
彼は四十過ぎてから出て来た。
しかし私は、ああいう劣等感を持った人間が、なぜ伸びたんだろうか不思議だった。
そして、「君、何か原因があったのか」と聞いたら、明らかに「あった」と、こう言う。
「おれはなあ、頭にできものができていたということと、学校の勉強ができなかったということだけで、みんなからばかにされ、のけものにされた。そして先生からも見捨てられた。悲しかった。おれはなあ、朝が特に悲しかった。おれは、神様はなぜ朝なんていうようなものをこしらえたんだろうか。きょうもまたみんなからいじめられ、のけものにされる。そう思うと、おれはなかなか起きて出ることはできなかった。いつもおやじから怒られては起きて出た」
「ところが、おれの子供が二年生の夏休みの前の日に、こんな厚い本を三冊借りてきた。どんな本かと思ってみたら、カタカナで書いてある。舌がもつれそうなむずかしい名前の本だった。ところが、三週間たっても、子供は本を全然読んでない。それでおれは、これは怒ってもだめだ。この学問のないおれが一冊でもいい、半分でも読んどいて、おれより、五年も六年も学校へ行っているくせに、読めないのか、これを。お父ちゃん、これ一冊読んだぞと励ましてやろうと思って、それを読みだした。こっちは命がけで読んだんだ。そうしたら、最初は、もうやめようか、やめようかと思って読んでいるうちに、おれは感激してなあ、この厚い三冊の本をたちまちのうちに三回読み切った」と、こう言うんです。
「何ていう本よ」と、こう聞いたら、ロマン・ロランという人の書いた『ジャン・クリストフ』という本だった。
「何に感激したのか」と聞いたら「おれの運命が書いてあるんじゃないかと思うほど、人間の苦しみが描かれていた。ところが、ただ一つ違う点があった、ジャン・クリストフはどのような苦しみの中に落ち込もうが、必ずはい上がってくる。また絶望の底に落ちてもまたはい上がってくる。彼は絶望といういう言葉を知らずに火のごとく生きている。ああ、おれもああいう生き方をしたいなあと思った」と、こう言う。
「おれは、小学校のころのしらくもという重石の下にずっときょうまで小さくなって生きてきた。この人生を燃えて生きたい。この人生を、生きたというほんとの生き方をしてみたい、そう思った。心の底からそう思った。そして、おれはさんざん考えた末に、何か燃える元を持たなきゃいけない。ところが、おれは貧しい百姓の小せがれだから、農業そのものの中に燃えようと思って決心した」と、こう言うんですな。
それから彼は農業の本を読み始めたんです、専門書を。
“しらくも君の運命を変えたものは?”
『感動は心の扉をひらく』あすなろ書房
人は、何かを感じることでしか動かない。
何かをただ知ったり、理屈が分かったりすることで、動くことはない。
それは、感じて動く「感動」という言葉はあるが、理屈で動く「理動」という言葉がないことでも分かる。
「感奮興起(かんぷんこうき)」という言葉がある。
心に深く感じ、感動して、奮い起こること、発奮することだ。
「発奮」とは、自分の、恥や、劣等感、貧乏などをバネにして、心を奮(ふる)い立たせること。
感動は心の扉をひらく。 |
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