2014.4.24 |
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本業消失の危機を乗り越える |
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富士フィルムホールディングス会長、古森重隆氏の心に響く言葉より…
車が売れなくなった自動車メーカーはどうなるのか。
鉄が売れなくなった鉄鋼メーカーはどうすればいいのか。
我々は、まさにそうした事態…、本業消失の危機に直面していた。
私が社長に就任した2000年、富士フィルムの主力事業だったカラーフィルムなどの写真感光材料の売上がピークを迎えた。
そして、その翌年、創業以来、その背中をずっと追い続けてきた巨人イーストマン・コダック社の売上を追い越したのだ。
私が入社した1960年代初めには、売上高で十数倍の差があったコダック。
そこから40年近くかけて、ようやくかつての巨人に追いついたのだ。
日本でのシェアは約7割と圧倒していた。
しかしビジネスの世界では、絶頂のときにこそ危機が忍び寄って来ているものだ。
その少し前からカメラの世界では、デジタルカメラが急激な普及を見せ始めていた。
デジタルカメラの普及が意味するところは、写真フィルムが不要になるということである。
実際に写真フィルム市場はその後、2000年をピークに縮小し始め、それは徐々に加速し、遂には年率20〜30パーセントもの勢いで激烈に収縮していった。
そして10年後には、世界の総需要はかつての10分の1以下にまで落ち込んだ。
カラーフィルムなど写真感光材料は当時、富士フィルムの売上の6割、利益の3分の2を占めていた。
その市場のほとんどが、あっという間に消失したのである。
それまで会社のドル箱だった写真感光材料事業が、わずか4,5年で赤字事業に転落したのである。
そして、この創業以来の未曾有の危機を迎えたタイミングで、私は社長を任されることになった。
少し時計の針を先に進めて2007年。
かつては約2700億円以上あった富士フィルムの写真フィルム事業の売上は、約750億と4分の1になっていた。
印画紙等を含めた写真事業全体でも、約6800億円が約3800億円に激減した。
しかしこの年、富士フィルムは、売上高2兆8468億円、営業利益2073億円という、史上最高の数字を叩きだしたのである。
会社は、本業消失の危機を乗り越え、新たな道を進み始めたのだ。
この間に大鉈(おおなた)をふるった改革が、実を結んだのである。
一つは、写真関連事業の構造改革である。
写真関連事業のリストラを含む大胆な構造改革を断行した。
また、写真フィルム事業の構造改革を進める一方で、今後成長が見込めると判断した分野には思い切った投資をした。
さらにまったく新たな事業を開拓していくことで、かつての本業が消失していく事態をカバーしていったのだ。
2012年、長年のライバルであったコダックは、米国連邦破産法11条の適用を申請した。
2006年4月に開所した富士フィルム先進研究所には、一つのシンボルがある。
ミネルバという女神と梟(ふくろう)だ。
哲学者ヘーゲルは『法の哲学』の序文で、『ミネルバの梟は黄昏(たそがれ)に飛び立つ』という有名な言葉を記している。
ローマ神話の女神ミネルバは、技術や戦の神であり、知性の擬人化と見なされた。
梟はこの女神の聖鳥である。
一つの文明、一つの時代が終わるとき、ミネルバは梟を飛ばした。
それまでの時代がどういう世界であったのか、どうして終わってしまったのか、梟の大きな目で見させて総括させたのだ。
そして、その時代はこういう時代だったから、次の時代はこういうふうに備えよう、と考えた。
『魂の経営』東洋経済新報社
「インターネットの登場は、人類が言語を獲得して以来の大発明」と、言ったのは脳科学者の茂木健一郎氏。
つまり、何十年万年以来の大変化ということだ。
インターネットの登場により変化したことは数えきれない。
それにともなって、消失した産業や会社の数は、かつてないぼう大な数に及ぶ。
それが、まだ現在も、そして、これからも続く。
本業が消失するような大変化のときは、自分のこだわりや、思い込み、しきたりや、ルールといった重い荷物をすべて一旦捨てなければならない。
そうして、身軽にならなければ、時代の大きな変化という谷間を、飛び越すができないからだ。
「ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ」
一つの時代の終わりと、次の時代へとの大きな変革期に、今我々は立ち会っている。
時代の大きな変化に備えたい。 |
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