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2014.4.10

雨降らしの名人


立花大敬先生の心に響く言葉より…

リヒアルト・ヴィルヘルムという人がいました。

この人は心理学者のユングの友人で、『易経』をはじめて翻訳してヨーロッパに紹介した人として有名です。

そんな彼が中国で体験した話です。

彼がある地方にいた時、その土地は大旱魃(かんばつ)でした。

もう何ヶ月も雨が降らず、田畑の植物は干上がって枯死(こし)寸前でした。

そこで農民たちが相談して、雨降らしの名人という評判の人を招きました。

数日後、その名人がやってきました。

見たところ、本当にみすぼらしい、ヨボヨボの老人で、ヴィルヘルムにはとても、その老人がそんな特殊な能力の持主のようにはみえませんでした。

その老人は、一軒の家の提供と日に三度の食事の差し入れを要求して、その家にとじこもってしまいました。

中の様子をうかがっても、しんと静まりかえっており、太鼓(たいこ)や鉦(かね)をたたいて祈ったり、お経を上げたり、呪文をとなえたりしているようにはみえませんでした。

ところが、三日目に突然雲があつまって、ド、ドッと大雨が降り、農民たちは大喜びで雨の中を踊りまわったそうです。

ヴィルヘルムは家から出てきた、その雨降らしの名人に、「いったいどうして雨を降らせたのですか」とたずねました。

老人は次のように答えました。

「私は雨を降らせようとしたわけじゃありませんよ。

この土地にやって来た時、この土地がこんなにも干枯(ひから)びているのは、私の心がうるおいを失って砂漠化しているせいだとわかりました。

それで私は家に閉じこもって、この土地をこんなにしてしまった私のあやまりをおわびしました。

おわびの心が深くなってゆくにつれて、私の心にうるおいがもどって来、心の乱れが整理されて調和のとれた姿になってゆきました。

そして、それ(その心の状態)が本物になった時、この土地の不調和の状態もおしまいになり雨が降ったのです。

私は決して雨を降らそうと思ったわけじゃないのですよ」

この話は、いろんな事を教えてくれますね。

それぞれの人自らの思いで、心を素材にし、またエネルギーにして、まわりの環境をつくり出しているのです。

『世界は鏡、自分の姿を映し出して見ているんだ』とおっしゃった古人がいますがその通りなのです。

また、こんな話があります。

26年間、胃病に苦しんで、ついに死の床についていた人に、黒住教の黒住宋忠先生はこんな風におっしゃいました。

「この道では、症状という形(有るもの)はすっかり病にまかせてしまって、心は神様と一体という心になられて、心だけはまずさっぱり平癒なさい。そうすれば心が一切の原因ですから、形も直(じき)にお直りなさるでしょう」

病気というもの、症状は終わろう、終わろうとその方向に歩み去ろうとしています。

ですからその自然の流れに任せておけばいいのに、人はその症状をたえず気にして思いをふくらませます。

注意がそこに留まると、その対象にいのちが籠(こも)るのです。

つまり、その病気にどんどんエネルギーを注いでいることになります。

退場門に向かう病気さんを必死で出ていかせまいと、その存在をささえているのが症状にこだわり、不安、心配する心です。

『神様の壺』大敬先生《しあわせ通信》第二集・本心庵


「子は親の鏡」という言葉がる。

親が暴力を使うなら、子供も暴力で解決しようとする。

親がウソをつくなら、子供もウソをつくようになる。

親が冷たければ、子供も冷たい人になる。

子供は、親の心を映し出す鏡のようなもの。

友人は、自分の鏡。

生徒は、教師の鏡。

会社は、社長の鏡。

病気や健康も、自分の心の鏡。

そして、自然や世界さえ、自分の鏡、だという。

自分が変わることなしに、子供や、友人や、生徒や、会社を変えることはできない。


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