2014.4.6 |
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呼ばれる人 |
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萩本欽一氏の心に響く言葉より…
実はぼく、コント55号の活動を休止したとき、アメリカに行っちゃおうと思ったことがあるんです。
ひとりでなにをしたらいいかわからなくなって、舞台も映画も優れてるアメリカでいちからやり直そうと思って。
それで井原(元日本テレビ第一制作局長)さんのとこに飛んでいって、
「ぼく、アメリカに行きたいんです」って言ったら、
「アメリカから呼ばれてんの?」って聞かれたので、
「いや、呼ばれてないけど、向こうに行ってチャップリンみたいになりたいんです」って言ったの。
そしたら井原さんにこう言われちゃった。
「アメリカって、世界の優れ者を呼んでいる国だから、呼ばれもしないのに行くと苦労しますよ。
欽ちゃん、まだ呼ばれてないんだったら、日本にいて自分でテレビ番組をつくったほうがいい。
どんどんつくったほうがいい。
それが優れてれば、アメリカから呼びにくるから」って。
僕はこれを聞いたとき、よし、アメリカから呼ばれるコメディアンになろうと思って、自分の番組をつくり始めたんです。
番組のセットを日本間にしたのも、そのほうがアメリカ人には珍しいから受けるかなと思って。
『小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム』集英社
毎年この時期になると、「深山(みやま)の桜」の話を思い出す。
深山の桜とは、山奥にある桜の木のこと。
桜の木が小さな頃は、まだだれも気付かない。
それがだんだんと大きくなるにつれ、その桜を見ようと、人がおしかけてくる。
やがて、何もない山奥に、その桜木までの細い道ができる。
そして、何年もたつと、大木となったその桜を見るために、道は広くなり、まわりに店もできる。
自ら一つの宣伝せずとも、魅力があれば多くの人が集まってくる、ということだ。
「嚢中之錐(のうちゅうのきり)」(史記)という言葉がある。
嚢中とは、袋の中ということだが、その中に錐を入れておけば、必ず袋を突き破って外に出てくるという意味。
つまり、すぐれた才能を持った人は、自ら宣伝せずとも自然にまわりが引き立ててくれ、際立つ。
外見を飾ることより、まず内面を磨くことが大切だ。
「ここぞ」というとき、誰かに呼ばれたり、頼まれたりするには真の実力がなければならない。
どんなときも、自らを磨き、実力を高める人でありたい。 |
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