2014.3.28 |
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乱感謝と全感謝 |
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葉室頼昭氏の心に響く言葉より…
終戦後、日本人は多くの大切なものを失いましたが、その中でも大きなものの一つは「感謝の心」です。
利己的で、自分さえ良ければ他人の迷惑などどうでもよく、自分の不幸をすべて他人のせいにして、感謝の心などみじんも持たない人が多くなりました。
私は、長年医者として患者さんを診てきましたが、いつも体のどこかに不調を訴え、病気が治らないことに対して不平ばかりいっている患者さんがあります。私はいつも、
「あなたは自分の体に感謝したことがありますか。
生まれてから今まで、年中無休、身体の細胞は一秒も休まずに外敵からあなたを守って働いてくれているのに、ご主人さまがそのことを全然認めないで不平不満ばかりいっていたら、細胞だって怒って働く気力を失いますよ。
今日から毎日『身体の細胞さん、今まで感謝を忘れ、不平不満ばかりいってごめんなさい。毎日働いてくれてありがとう』と全身を手でなでながら感謝しなさい」といっています。
交通事故で体に傷跡や変形を残した患者さんの回復形成手術を行う機会も多かったのですが、いわゆる加害者を恨(うら)んで悪口ばかりいうような人は、手術をしても良い結果は得られませんでした。
人を憎んだり非常に辛い思いをしているときには、レントゲンで見ると、腸がねじれたり、亀裂があったり、文字通り「断腸の思い」なのだそうです。
「はらわたが煮えくり返る」くらい立腹しているときは、実際に胃腸の粘膜が真赤に充血しているのです。
感謝の心のない生活に真実の健康は存在しません。
幸福が与えられたから感謝するのではなく、感謝するからこそ幸福が与えられるのです。
このことに気づかない人が多いようですが、感謝には、理屈や理由は不必要なのです。
光が凸凹の面で反射するのを乱反射というのと同じく、いろいろな理由をつけての感謝は乱感謝です。
光が鏡のような平面で反射すると全反射し、ピカッと光って眩しいように、理由のない全感謝が真実の感謝なのです。
『神道 感謝のこころ』春秋社
葉室頼昭氏は、外科医でありながら、神職の資格を取得し、春日大社の宮司になった方だ。
超一流のスポーツ選手や演奏家は、自分の使う道具をとても大事にするという。
自分の子どものように話しかけたり、磨いたり、そして、感謝する。
日本の古くからの神道には、木や岩や山や川といった自然や、道具にまで、神が宿り、降りてくる、という考え方がある。
三種の神器という、鏡や勾玉(まがたま)、剣などがよい例だ。
自分の身体はあまりにも自分の身近にあるため、感謝をつい忘れてしまう。
本当は、自らの身体は、モノである道具より数万倍大事であるにも関わらず、雑に扱い、大事にしない。
「理由をつけての感謝は乱感謝。理由のない真実の感謝が全感謝」
自分の身体を、大切に扱い、いたわり、全感謝で接したい。 |
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