2014.3.17 |
|
心一つの置きどころ |
|
|
西田文郎氏の心に響く言葉より…
「チームメートのミスが敗因だ」
「監督やコーチの責任だ」
そう考える他責の人間はアスリートとして大成しません。
これまで多くのアスリートを見てきたので、はっきり断言できます。
真剣にスポーツに打ち込んでいる人はよくご存じですが、じつは負け試合ほど大切なものはないのです。
自分のウィークポイントを発見し、それを修正し、自分の能力を高める絶好のチャンスがそこにあります。
誰かを非難する気持ちになったとたん、その反省が起こらなくなるのです。
自分自身の成長のために反省できるのは、「自責」の人間だけです。
ここで言う「自責」とは、自分を責めることではありません。
どんな困難な状況に置かれても、「これは自分の責任である」「この問題は自分に与えられた課題である」「私の試練だ」と考えられる人間のメンタリティです。
「ピンチはチャンスである」
こういう言葉をよく耳にします。
でも、気をつけてください。
他責の人間にピンチは存在しません。
誰かのせいにすることで、目の前にあるピンチに向き合うことを避けているのですから。
ですからみなさんも、「不況のせいだ」「円高が悪いんだ」「私が不幸なのはこの人と結婚しちゃったからだ」「モテないのは背が低いからだ」などという、自分をちっぽけなものにしてしまう他責の発想とは、今すぐ縁を切ってください。
目の前に赤いりんごが置かれているとします。
「食べたら美味しそうだ」と思う人もいます。
「きれいだ。一つ絵に描こう」と感じる人もいます。
「りんごは嫌いだ。捨てちまえ」と思う人や、もしかすると「これを誰かに投げつけたら面白そうだ」と、危険な発想をする人がいないとも限りません。
その点で、私たちはおそろしいほど自由です。
不況や円高、消費の低迷や失業率も、このりんごと同じです。
それらは単なる客観的材料、環境的材料でしかありません。
間違ってもあなたが抱える悩みの原因ではないし、その理由でも決してないのです。
一つの試練として、そこに置かれているだけです。
『一言で強運になる「かも」の法則』知的生き方文庫
自責とは、自分を責める人ではなく、すべてのことは自分に与えらえた試練である、と考える人。
輪廻の考えから言うなら、自らが決め、自分に課したテスト問題。
すべてのトラブルや問題は、自分の魂を成長させるために、自分が自分で決めてこの世に生まれてきた、と考えるなら誰に文句を言うこともできない。
人のせいにして、問題から逃げ回る人は、魂を磨くせっかくのチャンスをみすみす逸(いっ)している。
「人生は心一つの置きどころ」(中村天風)
人のせいにするのか、ピンチはチャンスと思うのか。
物事のとらえ方一つで、運がついてくる。 |
|