2014.3.16 |
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ダマされにくい人 |
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松永暢史氏の心に響く言葉より…
『徒然草』を書いた吉田兼好と、『学問のすゝめ』を書いた福沢諭吉では生きた時代が異なりますが、その中では、ふたりとも「賢くなることが大切だ」と言っています。
そして「賢くなる」ためには、ふたりとも「学問をすることだ」と同じ意見を述べています。
学問をすることによって、吉田兼好は「人の模範となる人物になる」、福沢諭吉は「賢人になる」と言っているのです。
では、もし賢くならないと、どうなるのか。
「ダマす」の反対語は全部で3つあります。
「ダマさない」「ダマされない」「ダマされる」です。
「ダマされる」人の反対にある「ダマされない」人というのは、文字どおり「ダマす」人に支配されることはありません。
「ダマさない」人は支配されるかもしれませんが、本人はおそらくそれでもいいと思っているのでしょう。
ただ、友達から「お人好し」と呼ばれているようなら、間違いなく「ダマされる」人です。
勉強する大きな目的のひとつは「賢くなる」ことで、それはつまり「ダマされない人になる」ことなのです。
ダマされない知恵を身につけておくことです。
ダマされない方法はふたつ。
信じないか、賢くなるか。
このどちらかしかありません。
前者の「信じない」というのは、人を百パーセント信じないことです。
何でもかんでも疑ってかかるわけです。
場合によっては、どんなに親しい間柄でも、まずは疑うのです。
でも、何もかも信じないというのは、やはり苦しいと思います。
それでは人との信頼関係が構築できません。
となると、ダマされないためには後者の「賢くなる」を選ばざるを得ません。
誰だって、それを選択するほうがいいに決まっています。
問題は、誰もが「賢くなる」ことができるのかどうか、です。
「ダマされない」ために、子どもが小学生時代にやるべき学習の中心は実に明確です。
まず、日本語を了解する能力と、その日本語を使いこなして運用する能力、つまり日本語に優れるようになることが挙げられます。
これがなければダマされないどころか、一般社会での成功の可能性もおぼつかなくなります。
そして、数値に強いこと、計算が速いこと、正確なこと。
こうした論理的思考や数学的思考に優れていること。
つまり、実践的な国語と算数の能力が必要なのです。
こうして日本語を用いて論理的に考える力、アタマの中で暗算して数値を思い浮かべられる力を持つと、お金のことでダマされなくなると同時に、ダマそうとする人たちが狙う対象からも外れます。
見るからにダマしにくい人物になるからです。
『今、なぜ、勉強するのか?』扶桑社
個人でも会社でも、人にダマされるということは、最悪の場合、個人破産か会社の倒産につながることがある。
だから、どんなに人がよかろうが、世のため人のためにつくそうと思っていようが、悪いヤツにダマされては絶対にいけない。
そのためには、善人であればあるほど、いいことも悪いことも、裏も表も、実社会では知識として知っておかなければならない。
この地球では、脇が甘かったり、隙(すき)だらけだったら、ダマしにかかってくる悪人はゴマンといる。
いつも、愛ある言葉や前向きな言葉を使い、感謝し、悪い想念をいだかない、ということを続けるための大前提として、このダマされないことがある。
ダマされない人物になるには、勉強して賢くなるしかない。
一見、お人好しそうに見えても、したたかで、隙がない人には、ダマそうとする人は寄ってこない。
善人でありながら、しかもダマされにくい人でありたい。 |
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