2014.2.23 |
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努力する技術 |
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弁護士、山口真由氏の心に響く言葉より…
私はものすごく努力家だと言われます。
東大法学部を主席で卒業したことや、大学の4年間で162単位を履修し、そのすべてにおいて「優」以外をとったことがないことや、大学のときの教養科目の平均点が99点を超えていたことを言うと、「天才」のような扱われ方をすることがあります。
私は、自分が東大法学部を主席で卒業したのは当然だと思っています。
下手をすると傲慢だと捉えられたりもします。
でも、それでも私は言います。
誰よりも努力したから、誰よりも大きな成果を得るのは当然だと。
努力すれば当然手に入れられるものを、どうしてみんながすごいと褒めてくれたり、「天才」と持ち上げたりするんだろうと、私はずっと不思議に思っていました。
逆に「努力したから当然だ」と言うと反感を買ったりすることにも、ずっと納得できない気持ちでいました。
でも、この「努力する」というのもひとつの技術なのだろうと、そう気付いたのです。
まず、「努力すること」とは何かについてです。
私にとってあることのために努力することは、その何かを「反復・継続」することを指します。
これは要するにアスリートのトレーニングと同じです。
たとえば、陸上競技の選手は、基本的には1日に何回か走って、それを毎日続けると思います。
重要なことは、まず、何を反復・継続するかを見つけ出すこと。
それさえ見つかれば、あとはちょっとした工夫でそれを続けることができるはずです。
努力することを「苦行」だと捉える人は、とりわけに苦手な分野において、努力することに価値を見い出しがちです。
ですが、自分が苦手な分野で闘うというのは、それに伴う苦痛が非常に大きいわりに、効果はあまり高くありません。
その結果、決して長くは続きません。
苦手なものは人並みかそれ以下でも仕方ない。
その分、得意分野でカバーするのが、ひとつの鍵です。
苦手なことにみずから進んで歩みよる必要はありません。
具体的に、私の得意分野について書くと、私は、自分の能力の核は、インプットの速さと精度、特に「読むこと」にあると自覚しています。
だから、今までもこの分野を磨くように努力してきました。
たとえば、限られた時間のなかで、膨大な資料を読み込み、急いで要点をまとめることが必要なとき。
こういう仕事は「きつい仕事」とされて敬遠されがちです。
けれど、私にとっては自分の能力を発揮できるまたとない機会。
だから、そういう仕事には積極的に手を挙げて、ここぞとばかりに、読んで読んで読みまくることにしています。
もし、自分が何でもそつなくこなせるオールラウンダーだと自覚しているならば、「バランス力」の分野にかけて、その分野で「とんがった人材」となるのもひとつの方法です。
「バランス感がいい」というのは、特に立場が上になるに従がって、とても重要になる能力だと思います。
時間は有限です。
もし、今、自分の苦手分野を克服しようと一生懸命トライしているならば、その情熱とエネルギーのすべてを、得意な分野の力をさらに伸ばすことに今すぐ切り替え、とがったプロフェッショナルとしての立ち位置を確立することを強く勧めます。
『天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある』扶桑社
「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」(井上靖)
どんなことがあっても、それは自分の責任と考える「自責の人」は、努力の人だ。
すべては自分の努力不足と考え、新たなチャレンジを次々とできるまでくり返す。
なぜなら、打つ手は無限にあるからだ。
不満を語る人は、他人のせいにする「他責の人」。
うまくいかなかったら、「天気のせい」、「景気のせい」、「競合相手のせい」、「部下や上司のせい」、「親のせい」にする。
何か一つでも、自分の得意分野を見つけ、そこで努力をし続ける人でありたい。 |
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