2014.2.5 |
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柔らかで、しなやか
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チューリップ、財津和夫氏の心に響く言葉より…
今はふにゃふにゃの自分も受け入れてます。
これまで、いろいろと痛い思いをしてきたから思うのですが、自分の信じるものを貫こうとすると、ほんとうにたいへんですからね。
それに、年を重ねると、価値観も180度変わったりする。
信念を貫く以前に、「信念ってなに?」とふにゃふにゃになるわけです。
自分が教えられてきたこと、「こうあらねばならない」と思っていた価値観と、世の中で起こることは、ほとんどの場合、噛み合わない。
教えられたとおりまっすぐ進んだら、もっと問題が大きくなったり…。
で、自分の視野が狭かったんだなと気づいて反省する。
失敗を繰り返しているうちに、人は「自分の力ではどうにもならないものがある」と悟るのでしょう。
それでも世間には「首尾一貫していること「言動が終始ブレないこと」を「良し」とする風潮があります。
言い訳をするようですが、アーティストやクリエーターなど、新しいものを生み出そうとする者にとって、「どんなときも首尾一貫していること」は不可能に近い。
ニュートラルな状態で柔軟に対応することを「悪だ」と言われてしまうと、ものをつくれなくなってしまうんです。
ふにゃふにゃの自分でいることを、「臨機応変な対応ができる」とポジティブに捉えることも必要だと思います。
似たような意味の「優柔不断」や「いいかげん」という言葉も、通常はネガティブな意味合いで解釈されますが、語源から考えると、優柔には「ものやわらかなこと」「曲げても折れないしなやかさ」という意味もある。
「いいかげん」は「好い加減」、つまり「好ましい、ほどよい加減である」ことですから。
優柔不断でいいかげんな、ふにゃふにゃな人間であることは、悪い面ばかりではない。
もちろん、管理職や政治的なリーダーなど、適材適所にスタッフを配して指示を出す立場の人は、優柔不断だと周囲が困ってしまいますけどね。
『私のいらない』廣済堂新書
「強いものが生き残るのではなく、変化に強いものだけが生き残る」というダーウィンの言葉がある。
世の中の変化に対応するには、自分の生き方や考え方を変えていかなければならない。
江戸時代から明治に変わるときには、筋金入りの武士でさえ、刀や髷(まげ)を捨てなければならなかった。
変化の時代には、あらゆることで、古い価値観を捨てることができなければ生き残れない。
柔らかで、しなやかで、良い加減に生きていきたい。 |
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