2013.12.21 |
|
べつの見方をすること
|
|
阿刀田高氏の心に響く言葉より…
ユーモリストとして知られたイギリスの政治家チャーチルは、
「イギリス労働党の創始者はだれか」
と言い争っているのを聞いて、
「コロンブスだな。彼は出発のときどこへ行くかも知らず、着いたところがどこかもわからず、しかも全部を他人の金でやったのだから」
と呟いたとか。
いかにも労働党ぎらいだったチャーチルらしい。
野暮な説明を加えれば、労働党の創始者は、A氏、B氏、C氏、功績の評価が分かれて定めにくいが、それにしても具体的な名前がいくつかあって、チャーチルがそれを知らないはずがないし、チャーチルなりにこの人と思う名前もあっただろう。
それを言うのが普通のビヘイビアだが、あえてべつな視点を採用して、500年も昔の、労働党とはまったく関係のないコロンブスを挙げたこと、これがユーモアなのだ。
笑いとユーモアのちがいを知るにはよい例だと思う。
ユーモアは笑いを生むことも多いが、それは副産物であり、本当の価値は日常の中でべつの見方をすること、そういう脳味噌を持っていること、そう考えるのが正しい。
ユーモアは本当に奥深く、複雑な心理を基としているから略述はむつかしいけれど、構造的には、目の前の現実とはべつな見方をすることだ。
べつな見方がなぜ大切かと言えば、普通の見方では新しいものは生まれにくい。
べつな見方こそ創造の源であり、普通ではないからこそこれを珍重する必要があるのだ。
だから「ユーモアのある人、すてきね」は正しい。
その通りだ。
創造力に富む人である可能性が高い。
そこがすばらしい。
その人が笑いを生み、笑う門には福が来るからすてきなわけではない。
それも一つの長所だが、それが第一義ではなく、ユーモアの効能は、それがべつな視点を持っているからであり、それがアイデアを生む脳味噌と関わっているからだ。
「じゃあ、どうしたらそういう脳味噌を育てられるんですか」
特効薬はないけれど、
「やっぱり読書でしょうね」
読書が教養を深めることは自明だが、そしてこれがユーモア感覚涵養(かんよう)の力となることはまちがいないが、小説はもともとべつな見方と関わりが深いのである。
小説はそこから生まれると言ってもいいほどだ。
普通な見方だけでは小説は創れない。
『知的創造の作法』新潮新書
小説やユーモアに限らず、事業も商品の開発も、およそ創造に関わる全ての発想の原点は、べつの見方をすること。
人と違った見方をするから面白がられるし、そこに驚きや感動もある。
まさに、それが「差別化」だ。
人と違った見方をするには、基礎となる多くの知識を持っていなければならない。
その知識の断片をつなぎ合わせると、新たな発想が生まれる。
そして、知識を身につける最大の方法が読書。
人と違ったべつの見方ができる、創造力豊かな人でありたい。 |
|
|