2013.10.6 |
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残心(ざんしん)
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アレキサンダー・ベネット氏の心に響く言葉より…
2012年夏のロンドン五輪は幾多のドラマを生み出したが、なかでも女子柔道57キロ級で初の金メダルを獲得した“野獣”こと松本薫選手は、私たちに強烈な印象を残した。
鋭い目つきで戦闘意欲をむき出しにして対戦相手に挑みかかり、準決勝でメダル獲得を決めた瞬間は両手で大きくガッツポーズ。
決勝戦で相手を倒したときは一転、うれし涙を流し、報道陣のカメラにはにこやかにVサインで応じた。
柔道の国際試合では、もはや驚くに値しない普通の光景といえるだろう。
超一流の選手で技を決めた後はほとんどガッツポーズをしているし、五輪の女子柔道で過去二回、金メダルを手にした“ヤワラちゃん”こと谷亮子選手は、ガッツポーズばかりかピョンピョン跳ね回って喜びを表していた。
試合に勝った喜びを選手が表現する。
それを見て観客も同じように喜び、興奮する。
これぞスポーツ観戦の醍醐味である。
しかし、こと武道に関しては事情が異なる。
剣道の試合ならば、勝者はガッツポーズをした瞬間、あるいはVサインをした瞬間、もしくは飛び跳ねた瞬間、間違いなく一本を取り消され、負けを言い渡される。
勝敗の喜びや悔しさといった感情を表に出すことは「残心がないふるまい」であり、武道精神に反すると判断されるからである。
残心。
聞き慣れない言葉だと思うが、長年、武道を続けてきた私は、この残心こそが武士道を武士道たらしめているもの、武士道の真髄、武士道の奥義だと考えている。
残心は勝負が決してからの心のあり方を示す。
勝負が決まっても油断をせず、相手のどんな反撃に対しても対応できるような身構えと気構えを常に心がけることを表す。
残心は殆どの武道に共通する心身の構えである。
たとえば弓道における残身は、矢を射った後も心身ともに構えと集中力を崩さずに、目は矢が当たった場所を見据えることとなる。
空手や居合道では技を行なった後、特定の体の構えを取る、相手との間合いを測って反撃方法を選ぶ、一拍おいて刀を収めるといった一挙動を残心と呼ぶ。
残心のある試合は、気迫に満ちながら静謐(せいひつ)を保ったまま終わる。
「勝っておごらず負けて悔やまず、常に節度ある態度を堅持する」
これぞ残心である。
サンフランシスコ州立大学の心理学者で柔道のアメリカ代表監督でもあったデイビット・マツモトの研究によれば、「やった!」と大きな喜びがもたらされると、アドレナリンが出て体がグッと硬くなる。
だから勝った瞬間に拳に力が入って、結果的にガッツポーズのようなスタイルをとるのは誰にでも起こる本能的な行為だという。
しかし逆にいえば、本能的な行為だからこそ逆に精神的、肉体的にどうやってそれをコントロールするかが課題になるのである。
本能を抑制できるところに人間の人間たるゆえんがあるのなら、感情表現のコントロールはとても人間的なふるまいといえないだろうか。
そして、その感情コントロールを残心は教え諭している。
『日本人の知らない武士道』文春新書
アレキサンダー・ベネット氏は、ニュージーランドから来日し、高校生のときから武道を始めた。
剣道七段、居合道、なぎなた五段等、合わせて十九段の段位を持つ。
試合が終わったあとの「残心」は、武道に限らず色々な場面で必要だ。
たとえば、サッカーなどで、試合が終わる何分か前に一点を入れ、これで勝ちだ、と思った瞬間に逆転された、などという事例はいくつもある。
これで勝ったという気持ちが、気の弛(ゆる)みを引き起こす。
喜びを爆発させるという、感情をあらわにすることが必要なときもある。
しかし、仕事でも個人でも、ここ一番の大事な勝負の場においては違う。
「勝って驕(おご)らず、負けて腐(くさ)らず」
「残心」をもう一度見直したい。 |
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