2013.10.3 |
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何でもないことに感動する
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松原泰道師の心に響く言葉より…
私の友人に九州で非行気味の少年少女や不登校の子どもたちを預かるお寺があるんです。
子どもたちは事件を起こすこともあるそうで、警察官たちとも懇意になった。
ある日、一人の警官が私の友人に質問をしたそうです。
「今朝、署長から『宿舎から警察署に来るまでに何か感動したことがあるか?』と聞かれて、私たちはみな『ありません』と答えたら、すごく怒られました。『生きた人間と向き合う私たちが感動しなくてどうするんだ』と言うのですが、これはどういう意味なのでしょう?」
友人は、「『よく見ればなずな花咲く垣根かな』の気持ちだと思う」と答えたんです。
ご承知の通り、松尾芭蕉の句ですね。
なずなとはペンペン草のこと。
義理にも美しいとは言われない。
その花が垣根の隅っこに咲いていた。
誰が見ていても見ていなくても、咲くべきときがきたら一生懸命咲いている。
それを芭蕉は、熱視して感動したんです。
つまり、その署長の言いたかったことは、何にしても深い感銘が持てるようにならなければ、繊細な心を持つ子どもたちのことなどわかるわけがないだろうということなのでしょう。
私もその通りだと思います。
人間は何でもないことに感動できる感受性を持っています。
感動すると、そこに希望が生まれ、希望を持つことで、工夫を重ねるわけです。
逆に言えば、人間は感動しなくなったら進歩することなどできません。
私も毎朝、目が覚めたとき、この高齢(101歳)で今日もまた生きさせて頂いたと感動します。
本当にありがたいことです。
『つまずくことが多い人ほど、大きなものを掴んで成功している』マガジンハウス
感動とは、集中すること。
うわの空で、心ここにあらずの、心がざわついている時は、感動できない。
好奇心や、ワクワク、ドキドキする子供の気持ちを持ち続けている人は、小さなことにも感動できる。
道ばたに咲く野の花。
朝起きたときの小鳥の声。
真っ青な空や、山の色。
感嘆のあまり発する感嘆詞は、感動詞とも言うが、「わぁ!」、「すごい!」、「やった!」、「キャアー」、「ええ!まさか!?」等々の感嘆詞を普段多く使う人は、感動多き人。
日常の何でもないようなことに、感動できる感受性豊かな人でありたい。 |
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