2013.9.11 |
|
上機嫌の種をふりまく
|
|
田辺聖子氏の心に響く言葉より…
私は、神サマの意思で、中年に入りかかった開業医、夫(おっちゃん)と結婚した。
おっちゃんの家には、四人の子供がいて、おばあちゃん、おじいちゃん、おっちゃんの弟妹、看護婦さんも居た。
私は子供の時以来、再び大人数の家に入ることになった。
あんなややこしい家に入って、とんでもないと、周囲の人は思ったようだが、でも私は〈おもろいやん〉、〈これでまた小説が書ける〉と、そう思った。
やがて、おっちゃんが〈退場〉したが、これはまあ、トシに不足はなし、しかるべき命終(みょうじゅう)というものであろう。
おっちゃんはニカニカと満足そうであった。
ひととおりの仏事を終えた時、子供らが、
〈聖子おばちゃん、ありがとう。お父ちゃんも喜んで往きました〉という。
本当は、これに泣けたのだが、ここは泣いたらイカンと、
〈一人前のクチきくやないか〉
と私。そしたら子供たち、
〈三日かかって覚えました〉
だって。それで大笑い。
そんなふうに「ああ、面白かった」って、笑えることがいちばん。
世の中は、どんなことが起こるかわからない。
それでも、「世の中って面白い」と思い生きるのと、「世の中って苦しい」と思い生きるのでは、歳月(としつき)のたちかたはぜんぜん違うのではないだろうか。
何が起こるかわからないから、〈先を楽しみに生きる〉。
上機嫌っていうのは、自分で自分をつくることなんだ、結局は…。
…人生、いつも上機嫌であらまほしい。
私には、夫婦も家族も、会社に集まる人たちも、ほんのわずかな縁を神サマが繋(つな)ぎ合わせて、めぐり合えた人たちなのだと思われてならない。
だから、あなたのやさしみを、まずはあなたの近しい人に。
笑いの種を、上機嫌の種をふりまいて…。
『上機嫌の才能』海竜社
次々に起こる出来事を、「面白い」と思って生きるか、「つまらない」、「苦しい」と思って生きるかで人生のありようはまったく違ってくる。
どんなことにも面白がって生きることができる人は、いつも上機嫌でいられる。
つまらない、苦しいと思えば、不機嫌になる。
つまり、機嫌がいいか悪いかは自分で決められる。
世の誰もが「つまらない」、「苦しい」と思うようなことを、「面白がる」ことができたら、生きる達人だ。
上機嫌な人はまわりを幸せにする。 |
|
|