2013.9.8 |
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夜郎自大(やろうじだい)
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二見道夫氏の心に響く言葉より…
むかし、中国は漢が栄えた時代、貴州省の一角に、“夜郎”という雑小国の中の大国があった。
もちろん漢に比べれば、吹けば飛ぶような小さい国だが、そこに、大国の漢から使者が来た。
その使者に、夜郎の王が言った。
「聞けば、貴国もなかなか手広くやっているそうじゃのう…」
「貴国も…」という言い方には、自国と比べたうえに、暗に“わしの国には及ぶまいが”という意思がうかがわれる。
大変な思い上がりである。
手元の熟語辞典で調べてみると「夜郎自大(やろうじだい)」のことを、小さい世界しか知らず、それでいて尊大に構えている人と説明している。
ユダヤの格言、「カリフラワーに住む虫は、カリフラワーを世界と思っている」というのも夜郎自大と似たりよったりである。
一策に溺れず多面的な発想ができるためには、夜郎自大的な人は、自分がそういう人間であることを知って、その小さい世界を突き破らねばなるまい。
その小さい世界のことを“隅(ぐう)”(重箱の「隅(すみ)」と通じる)と呼ぶが、その隅の世界を突破せよということだ。
隅の世界に閉じこもった生き方をしていると、苦境に突き当たったとき、それを力強く突破する知恵が出てこないものである。
抽象的には視野を広げることの大切さは、みなさんご存知のことと思うが、「自分は視野がせまい」と思っている人は、ほとんどいないからこそ厄介なのである。
『一日一話、寝る前に「読むクスリ」』知的生き方文庫
「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」という言葉がある。
小さな井戸に住んでいるカエルは大海を知らない、ということ。
「夜郎自大」には、「井の中の蛙」に加えて、偉そうで滑稽(こっけい)、という感じがある。
サッカーの一流プロを前にして、素人が自分のサッカーの知識や理論を滔々(とうとう)としゃべってしまうようなものだ。
カエルが大海を知るには、外へ飛び出るしかない。
多くの知識を身につけ、その上、知ったことを試してみるという行動がなければ、新しい世界を知ることはできない。
年をとればとるほど、新たな知識を身につけ、新しいことに挑戦する人でありたい。 |
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