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2013.9.2

評価はよけいなお世話

森博嗣氏の心に響く言葉より…

アマゾンでよく買い物をするのだが、たいてい評価点がついている。

たとえば、冷蔵庫とか掃除機とかであれば、大勢の評価を少し見てみるのも良い。

これは趣味で使うものではなく実用品だから、だいたいみんなが同じ目的で使っているためだ。

僕も、道具を買うときには、評価を見ることにしている。

しかし、たとえば、ジュースを買うときには、人の評価を見ることはほとんど無意味だ。

自分の好きなものが、みんなが好きなものと違うことは、誰でも知っている。

さらに、本やDVDを買うときは、評価が悪いものの方が、僕に合っていると思えるほど、逆だったりする。

みんなと嗜好(しこう)が完全にずれているわけだ。

ジュース以上に、本やDVDなどは、趣味的なもの、感覚的なものであるから、そもそも評価というものができない、と僕は感じる。

まあ、自分が好きだと思ったものを大勢にすすめたい、あるいは、自分が嫌いだと思ったものを、みんなも避けてほしい、という気持ちはわからないでもないが、それは一言でいいうと「よけいなお世話」である。

ただ、そいう評価を自分の不満の「捌(は)け口」にしたい人はいるので、「評価制度をなくしてしまえ」というほど反対はしない。

問題は、そういったものに左右される側だ。

けっこういると思う。

買おうと思ってその品物をクリックしたはずなのに、誰だか知らない人の評価を目にして、買えなくなった、という経験をする人がいる。

これは不幸なことだ。

誰にとって不幸かというと、自分の買いたいものを買えなくなったその人にとってだ。

この逆というのは、あまりないだろう。

つまり、好評だから買おうというケースは少ない。

まったく買おうと思っていないものは、評価を見る機会さえないからである。

せいぜい、迷っている人の後押しをする程度のことだ。

僕の小説の書評で、「前作を読んでいないと面白さは半減だ」と書いている人がけっこういるが、その書評を読まずに作品を読んだら、楽しみは倍増だろう。

これを書いた人は、自分が前作を読んでいたから面白かった、と分析しているようだが、前作を読んだために、もっと面白い部分を見逃している。

他者との出会いだって、大人になってからいきなり相手を知るのだ。

過去の履歴を知らなければ、人を好きになれないものだろうか?

「他人の感情的評価に影響されることで、大勢が自由を失っている」

『「思考」を育てる100の講義』大和書房


インターネットの時代になり、何かを評価したい人が圧倒的に増えたような気がする。

というより、元々人は、何かを評価したくて仕方のない生き物なのかもしれないが、たとえば、「食べログ」などでは、レストランや食堂の評価は非常に厳しい。

その店に、何回も通いつめた人が評価するなら少しは分かる気もするが、たった1回だけ訪れただけの印象で、滅多切りする人は多い。

そして、ほめてあるコメントはほんとうに少ない。

もちろん、たまたま、そのとき運悪く、店側としても非難されて仕方がないことをしでかしてしまった場合もあるだろう。

しかし、たとえそうだったとしても、たとえば仮に、たった1回、しかも1時間くらいだけ会った人を、ブログやSNSで名前まで出して非難するだろうか。

何かを非難する人は、「自分はもっとよく知っている」、と自分を認めてもらいたい気持ちが心の底にあるが、そのたった一つの評価でその店の売上が激減し、死活問題になることもある、ということを知る必要がある。

粋な人、心に余裕のある人は、ヒマな店や、繁盛していないような変わった店に何度も通い、それを楽しむ。

「評価はよけいなお世話」

自分自身のしっかりした基準を持ちたい。



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