2013.8.25 |
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巨木の教え
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荒俣宏氏の心に響く言葉より…
中国の名著『荘子(そうじ)』に「櫟社(れきしゃ)の散木」という話がある。
その話のポイントは、こうだ。
大工の名人が弟子を連れて材木を探す旅に出た。
すると、ある村で神木として尊ばれている巨木に出会った。
弟子がこの木を使おうというと、名人は答えた。
あの木は役に立たなかったからこそ巨木になれたのだ、と。
ほかの木は使いやすい「財あるいは材」になる木だったから、どんどん伐(き)られてしまった。
しかしこの木は曲がっていたりして使いにくい「散木」だったので伐られなかった。
そのおかげで長いあいだ伐られずにすみ、とうとう神木になれたのだ、と。
大器晩成という言葉にも通じ、自分の個性を失わずに伸びた木は「材」とは異なり、世間的には役に立たなくても世俗の評価を超えた神木になれる可能性があることを、教えるものだ。
そのことは、現代の高度消費社会を見ればよくわかる。
ここで高い評価(取り引きされる値段が高い、もしくは人気が高い)をされる商品は、ほかの商品とは大きな差異をもつオリジナリティの高いものだ。
いっぽう、ほかの商品との差異が小さなものは当然、低い評価(値段が安い、もしくは人気が低い)を下される。
そして差異の大小が商品価値を左右するという法則は人にも当てはまる。
ニッチ(誰も手をつけない自分だけの分野)こそ、0点主義の最重要ポイントだ。
こういうニッチには誰も手をつけないので、一般的には0点である。
ところが、ここを自分の拠点として経験や知識をたくわえれば、いつか、これが活用されるときがくる。
そのとき、ニッチにいるのは自分だけということになる。
私は、そのようにして多くのニッチを築いてきた。
幻想文学、オカルト、風水、博物学、図像学、神秘学、妖怪などなどだ。
とくに世界が変革期になり、物事の価値観の見直しが行なわれるときには、このようなニッチの分野に光が当たる。
他の人がほとんど興味をもたない事柄に心惹かれる傾向が強かった。
人からみれば、無意味で無駄なことばかりを追い求めているようにみえたことだろう。
しかし、他人の目など気にせずに、自分の興味に従って探求に邁進したことから、いつしか「荒俣宏というユニークな人間がいる」という評判が立って、自由に仕事ができるようになった。
その間、たぶん30年くらいかかったかもしれない。
でも、苦しいと思ったことはない。
好きなことが仕事に結びついているわけだから、どんなにたいへんであっても、辛いことなど何もないのだ。
『0点主義 新しい知的生産の技術57』講談社
「無用の用」という教えがある。
老子や荘子が説く教えだが、「一見、役に立たないように見えるものでも、かえって役に立つこともある」、ということだが、「この世には無用なものは存在しない」ということ。
それは、仕事とはまったく関係ない、友人たちとの交友だったり、およそ役に立たない趣味だったり、だ。
事業も同じで、流行の商品や業態を追いかけたり、真似したとしても一時(いっとき)はうまくいくが、すぐにダメになるのが世の常だ。
誰もが参入するようなメジャーな分野より、人が手掛けない分野、趣味のような珍しい店、面倒で手間のかかるやり方等々、それらをコツコツと何十年も続けていると、いつか大ブレークすることがある。
競争が少ないニッチの分野ほど、安売りせずに、付加価値を高くできるからだ。
「櫟社の散木」という巨木の教えを、心に深く刻みたい。 |
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