2013.8.22 |
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苦しいこともあるだろう
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向谷匡史氏の心に響く言葉より…
山本五十六は「悲劇の提督」として、いまなお国民の人気を集める。
不戦平和を求め、最後の最後まで戦争に反対しながら、いざ開戦のご聖断が下るや、連合艦隊司令長官としてハワイ真珠湾奇襲攻撃を成功させ、その2年後、ソロモン諸島で戦死する。
五十六は旧長岡藩士・高野貞吉の6男として生まれる。
風変わりな名前は、父が56歳のときの子供であったことから名づけられた。
猛勉強の末、1901年、難関の海軍兵学校に2番の成績で合格する。
入学のときの面接で「おまえの信念は何か」と教官に問われ、即座に「やせ我慢」と答えたという。
五十六は「やせ我慢にこそ、男の生き方がある」という信念を17歳のときから持っていたことになる。
1924年12月、五十六は霞ヶ浦海軍航空隊に副長として就任するが、厳しい訓練について、隊員たちにこう訓示する。
苦しいこともあるだろう
云い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣き度いこともあるだろう
これらをじっと古らえてゆくのが
男の修行である
五十六は1919年、アメリカの駐在武官として渡米。
ハーバード大学に入学している。
アメリカの国情、国力を熟知しており、それだけに五十六は最後の最後まで米開戦に反対するのだった。
真珠湾奇襲作戦は大勝利をおさめたが、五十六の戦略としては真珠湾で勝利したあと、すぐに和平交渉に入るというものだったが、戦勝気分に酔った軍部も国民もそれを許さなかった。
長引けば負ける…という五十六の読み通りの展開になった。
また、五十六はこういうことも言っている。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
『「生き地獄」脱出法』東邦出版
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」(山本五十六)
まさに、リーダーの心得そのものだ。
部下の話をよく聞き、そしてそれを認め、任せることによって自主性が生まれる。
「やらされている」、と感じれば感じるほど、やる気はなくなるからだ。
また、部下や周りに感謝するとは、「後姿にそっと手を合わせる姿勢」に他ならない。
それを松下幸之助翁はこう言っている。
「客が食べ終わって出て行く後ろ姿に、しんそこ、ありがたく手を合わせて拝むような心持ち、そんな心持ちのうどん屋さんは、必ず成功するのである」
お客様だけでなく、一緒に働く仲間にも手を合わせる。
まわりの人すべてに感謝する人でありたい。 |
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