2013.8.4 |
|
勇気の修養
|
|
渡部昇一氏の心に響く言葉より…
勇気の修養の方法として、新渡戸稲造博士が勧めるのは、ある恐怖心を起こさせるようなことがあったときに、「これはギリギリ限界まで行ったらどうなるか」と考えてみるということである。
そうすると、たいていのことは怖くなくなるのだと博士はいうのである。
たとえば対岸で火事があったときに、それがうちまで来たらどうしようと考えてみる。
あるいは妻が風邪にかかって、それが悪化して死んでしまったらどうなるだろうか。
自分が病気になって再び起き上がれなくなったとしたらどうなるだろうか。
このように先の先まで考えると、あまり怖くなくなるというのである。
哲学者の木田元さんの伝記、「闇屋になりそこねた哲学者」を読んで思ったのは、木田さんの元気の背景には、いざとなったらテキ屋で食える、闇屋で食えるぞという気持ちがあったのではないかということである。
そういうギリギリのところでも生きていけるぞという気持ちがあると、怖いものがなくなってしまうのである。
勇気を養うためのもう一つの心得は、都合の悪いときに、その裏にあるものを考えるということである。
孟子の言葉にあるが、何か困ったことが起こったときには「これは天が自分に大任を降そうとしているのだ」と考えればいいということである。
するとそれが勇気の源となる。
勇気を奮って事にあたれば困難が一気に解消されて、人生が開けることがあるのである。
また、新渡戸博士は偉人の伝記を読むことも勇気を修養する方法の一つであるという。
伝記には人を感化する力があるというのである。
偉大なる人物ではなくても、身近な人の行為と自分を比較することによって勇気が出ることがある。
たとえば、身内に勇気ある体験をした人がいれば、勇気とは何かを考える場合に非常に参考になるものである。
『運命を高めて生きる 新渡戸稲造の名著「修養」に学ぶ』致知出版社
何か心配事や恐れることがあったとき、それが現実になったとして最悪のことは何か、と考えてみると肚がすわる。
越えられない試練はない、という。
それは、生まれ変わりの理論から言えば、全ての試練は自ら、自分に課したものだからだ。
そう思えば、少し勇気が湧いてくる。
「死ぬこと以外はかすり傷」 (山崎拓巳)
たとえ全財産を失ったとしても、生きていさえすればなんとかなる。 |
|
|