2013.7.25 |
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第一級の政治家
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加瀬俊一氏の心に響く言葉より…
純真に皇室を崇敬していた吉田茂は、戦後に伊勢神宮を参拝した最初の首相であり、引退後には神宮皇學館を再興して現にその総長になっている。
また、駐英大使の頃は日英関係は険悪だったのに、結構ロンドンの生活を楽しんでいた。
英国の貴族的雰囲気が肌に合ったからだろう。
洋服はヘンリー・プール製に限り、帽子はもとより、手袋から靴下まで好みがやかましい。
鼻眼鏡をかけ、ロールスロイスに乗る。
ところが、英国の代表的スポーツであるゴルフはやらぬ。
短気なせいもあろうが、猫も杓子もゴルフに熱中すると、そこが生来のアマノジャクだから「棒ちぎれを振り回してなにが面白い」とうそぶく。
短気だから、碁・将棋もカルタも嗜まない。
寺内元帥に、「どうじゃ、総理大臣秘書官をやらんか」と勧誘され、
「総理大臣なら勤まるかも知れませんが、秘書官はとても勤まりません」と断ったことがある。
まったく怖いもの知らずである。
秘書官は勤勉でなくてはならぬ。
吉田さんには向かぬ。
吉田さんは良い意味での怠け者である。
だから、週末には必ず遊んだ。
遊ぶのではなくて思索したのだが、遊ぶふりをしていた。
これも英国流なのである。
不世出(ふせいしゅつ)の外交官といわれたタレイランの金言パ・トロ・ド・ゼール(ムキになるな)を好んで引用する。
つまり、宰相(さいしょう)たるものは些事(さじ)に超然として、常に余裕綽々(しゃくしゃく)でなくてはならぬ、と戒めるのである。
たしか総領事時代のことである。
某代議士が来訪したが、会いたくないので居留守を使った。
ところが運悪く、その直後にパッタリと廊下で顔を合わせてしまった。
代議士が「けしからんではないか」と憤慨して食ってかかると、吉田さんは平然として、
「総領事は不在だ。本人がいないと言っているのだから、これほどたしかなことはあるまい」
と答えた。
人を食った話である。
人を食うといえば、先頃ある訪客が、
「閣下はいつも御血色がよろしいが、なにを召しあがるのですか」とうやうやしくたずねたところ、吉田さんは言下に、
「人を食ってるからですよ」
と答えた。
彼にはこういう機知(ウイット)がある。
同じような逸話は多数あるが、横紙破りで痛快なので、大衆の共感を呼ぶのである。
実は、吉田茂の貴族的趣味を裏返すと、意外にも庶民的気質がひそんでいる。
落語が好きである。
テレビは捕物帖を見る。
ターザン映画なら決して飽きない。
庶民的な一面があればこそだろう。
由来、大衆は本能的に真贋(しんがん)を見分けるものである。
吉田茂は純金である。
鍍金(めっき)ではない。
特に、愛国の情熱は純の純なるものである。
この愛国の信念と、千万人といえどもわれ征かん、という不屈の勇気は大衆に強く訴えるものがある。
吉田茂が、「尊敬する政治家」のアンケートにおいて第一位を占めるのは偶然ではない。
『「男の生き方」四〇選 上』“城山三郎編”文藝春秋
吉田茂は敗戦国日本の首相として五次にわたって内閣を組閣。
憲法改正、農地改革を実施。
昭和26年9月サンフランシスコ講和会議に首席全権委員として出席し、講和条約・日米安保条約を締結。
昭和日本を代表する第一級の政治家だ。
終戦の年、敗戦必至の形勢を説いた内奏文が憲兵に押収され、投獄の憂目をみた。
(以上、同書より)
一国の宰相に限らず、リーダーは大事件や難問に対しては、余裕を持って対しなければ判断を誤る。
つまり、「ムキになってはいけない」ということ。
ましてや、危急存亡のときに、現場で必死に戦っている人たちを、ねぎらいこそすれ、怒鳴り散らしたり、滅茶苦茶な指示を出して混乱させるなら、最低の指揮官といわざるをえない。
切羽詰った場面であればあるほど、ユーモアや、人を食ったようなふてぶてしさが必要だ。
それが、余裕につながり、冷静な大人の対応となる。
同時に、第一級の政治家は、愛国の信念と不屈の勇気を持っている。 |
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