2013.7.17 |
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不遇時代を乗り切った人
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松本順氏の心に響く言葉より…
北裏喜一郎氏は、学生時代の過激なスポーツがたたって、野村證券に入社してから3年ごとに結核が再発、そのつど長期欠席するというありさまで、会社にとってあまり歓迎されない社員であった。
当然、出世は遅れ、不遇時代が延々と続いた。
今とちがって結核といえば人のいやがる病気だったので、悩みも人一倍大きく、その悩みを克服するため、禅寺に通って座禅に救いを求めたり、托鉢もして歩いて精神修養に努めたという。
戦争中は疎開と療養をかねて和歌山の生家に帰った。
たまたま家の蔵に十八史略、日本外史、孫子の兵法などの本があったので、暇にまかせてこれを読みあさった。
こういう勉強が、北裏氏の精神的糧となり、彼の思想を形成するのにたいへん役立ったという。
戦後、ようやく体が回復したので、営業の第一線に復帰したが、丁度、証券大衆化の時代に当面し、北裏氏はこれを統率する部隊の営業幹部として大いに活躍し、これが認められて23年には大阪支店支配人となり、24年には取締役、27年に常務、31年専務、34年副社長と、3、4年ごとのテンポでトントン拍子に出世し、ついに43年社長に就任した。
北裏氏の場合は10歳代から30歳代半ばまで殆ど病気がちであった。
だからサラリーマンの生活でいえば、最高のもっとも大事な時代に病気のため、しょっ中会社を休み、このため仕事は遅れ、昇進も遅れて、まったくのエリート・コースから見はなされることになってしまった。
だが、北裏氏はそういう辛い境遇におかれても、けっしてやけになることはなかった。
むしろ病気の間の、座禅や読書などの精神修養が、どんな困難にめげない人生観をつくり上げ、営業活動に大きな成果を上げさせることに非常にプラスになったのである。
将棋の升田幸三氏は、
「情勢が悪いからといって勝負を投げてしまっては、そこから何も生まれてこないし、永久に負け犬になってしまう。
自分が劣等のときには、ねばりにねばって、なんとか一手違いにまで追いつこうと努める。
そうしておけば、逆転のチャンスがいつもひそんでいるからだ」
といっているが、不遇時代を乗り切った人は皆、このような心構えで努力していることがわかる。
天才ゴルファーのボビー・ジョーンズは
「人は敗れたゲームから教訓を学びとるものである。
私は、勝ったゲームから、まだなにも教えられたことがない」
と、天才になった秘訣を語っているが、不遇時代こそ人間を飛躍させる下地をつくるものであるということを忘れてはならないのである。
『負けてなるものか』マネジメント社
人はいいときばかりではなく、不遇の時代もある。
だが、大事なのは不遇の時代をどう過ごすかだ。
不平不満を言って、まわりや環境のせいにして過ごすのか、それともそれを、自分を磨いてくれる「砥石(といし)」と考えるか、だ。
どんなすぐれた包丁も、砥石で研がなければ、いつかは切れなくなる。
不遇の時は、勝負を投げず、じっと我慢して自分の実力をたくわえるとき。
辛い不遇の時代は、飛躍の下地をつくってくれる。 |
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