2013.7.12 |
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スポーツには哲学が必要
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アルペンスキー、皆川賢太郎氏の心に響く言葉より…
「スキーのオリンピック選手になりたい」という夢は、小学校の低学年からずっと描いていました。
元競輪選手だった父は、私にこう言い続けていました。
「スキーの選手を目指すなら、一流になれ。
お前もそう願うんだったら、365日、毎日練習しろ。
黙々と途絶えることなく練習できる選手は、もともとすぐれた能力を持つ選手に勝る。
俺は、自分ができなかったことだからこそ、わかるんだぞ」
私が幸運だったのは、父のアドバイスを得られたことに加え、すばらしいコーチに恵まれたことですね。
とくに、小学6年からコーチング、中学1年からはトレーニングもしてもらったマルコ・クレメンチッチには大きな影響を受けました。
「ケンタロウ、プロになりたいんだったら、24時間スキーのことだけを考えろ。
技術はあとからでも学べるんだから、何よりもまず、強靭な体をつくって体力の絶対値を高めなさい」
と言われました。
メンタル面でもマルコに鍛えられました。
ある日、鏡の前でウエイトトレーニングをしていた私に、彼はこう聞いたんです。
「お前は今、何を考えてトレーニングしてる?
スキーのポジションはこうだから、どこの筋肉をつけようとか、考えていないか?」
まったくその通りだったのでうなずくと、
「そんな考えはいらない!
俺はお前が勝ちたい選手が誰なのかは知らないが、その選手を思い浮かべてトレーニングしろ。
その選手より回数を多くこなせば必ず勝てる。
その練習量は自分で決めろ」
この言葉でモチベーションがあがりました。
マルコは、あらゆる意味で優秀な人だと思います。
「ケンタロウ、スポーツをする上で人間が必要なものは何だと思う?」
マルコにこう聞かれたことがあるのですが、このときに私は「時間」と答えました。
すると彼は、頭を振りながらこう言うんです。
「いや、哲学だ。
哲学以外に人間が成長する要素を含んでいるものはない」
私はそれまで本にまったく関心がなかったものの、マルコにこう言われてから哲学書を読むようになりました。
23歳のとき、それまでより断然短いカービングスキーが登場しました。
これで、タイムがすごく伸びたんです。
大ケガをしたのは、そんなときでした。
左膝の前十字靭帯を切ってしまったのです。
これはスキー選手に比較的多いケガですが、それまで、このケガから復帰した選手は一人もいませんでした。
今でこそ医学やリハビリテーションも進んで、復帰する選手も出てきましたが、当時のスキー選手にとってはまさに致命的です。
「絶対に戻ってやる!」と、自分自身に言いきかせていましたが、ケガをした直後に感じたのは、絶望だけでした。
個人で世界的なスキーの大会を転戦するには、交通費、宿泊費、コーチを雇っての練習にともなう費用など、大金がかかります。
用具面、金銭面で支援してくれるスポンサーがつかなければ、競技生活は続けられません。
当然のことですが、大ケガをした選手からはスポンサーも離れていきます。
私の場合も手術を終えて二ヶ月後に退院したころには、スポンサー企業はゼロになっていました。
お金も使い果たしてしまったので、一時は投げやりになって酒を飲んだり、パチンコ屋に通いつめたこともありました。
でも、ある日リハビリをしているとき、こう思ったんです。
これから先、「あなたは何者?」と聞かれたとき、どう答えればいいんだろう?
もう「アルペンスキーヤーの皆川賢太郎です」「全日本の皆川です」とは言えない。
スキーをやめたら私には、何が残るのか。
これからの人生、どうなるんだろう、と考えたのです。
やっぱりもう一度スキーをやるしかない、と思いました。
復活したい、とか世界の頂点をもう一度目指そうとか、そういう気持ちとは違う。
皆川賢太郎という人間を、一からつくり直すしかない、とにかく前に進もう、という心境でしたね。
普段から本をたくさん読んでいたのものよかったと思います。
『マイナスをプラスに変える行動哲学』“海洋冒険家・白石康次郎著”生産性出版
スポーツに限らず、経営でも、芸術でも、政治でも、人としての生き方すべてにおいて、哲学は必要だ。
哲学とは、「どう生きるか」という人生観であり、世界観だ。
物事がうまく行っているときは目立たないが、うまく行かなくなったときに「哲学」は必要となる。
挫折したとき、負けたとき、失敗したときの対処の仕方で、その人の値打ちがわかるからだ。
「どう生きるのか」「何のために生きるのか」、そして、自分がこの世に生を受けたことはどんな意味があるのか。
己の哲学を身につけ、自らの使命に目覚めたい。 |
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